雑感


株式を公開するまで、経済の実体について学んでこなかったと自分を振り返り思っている。
花き業界がそれだけ世の中の経済と離れて動いていると錯覚していたためだ。確かにマーケティングは良く勉強した。きっかけになったのは家内と結婚した時、彼女の嫁入り道具の中に棚いっぱいのマーケティングの本があり、世の中の事象についてことごとく教えられることが多かったためである。それまで僕はほとんど数学ばかりやってきたので、理詰めで物事を判断することしかしなかった。今から20年ほど前、新しく竣工された地下鉄内の吊り革が、今のように握り易く右を向いていた。それを見て僕は家内に「これが人間工学に基づく吊り革の本来あるべき姿で、車輌は今後このようにあらねばならない。」と分析と今後の有り様を語った。これは僕が大学の時に少し学んだサイバネティックスからの知識であった。しかし彼女はそれを見て、「ようやく日本も官僚的な鉄道まで“doing”の時代になったことを認識した」と判断した。すなわち物不足から物を所有することに価値がある時代へと移り変わり、さらに「いかにそれを使うかに価値が置かれる」時代になったのだ。彼女が予言したように、70年代は確かに“doing”の時代で、80年代に起こった“being”(すなわち生活者)としての時代を予見するものであった。
このようにマーケッターとしての知識と、各事象から発せられている時代の潮流を、確実に見て行くことが欠かせない。マネージャーは決まったことをキチッとやり遂げる役割だが、今はリーダー=明日に向けて正しい行動をすることが求められている。この20年、ほとんど論理学や数学を再度勉強すること無く、マーケッターとして自分を磨いてきたつもりだが、僕の目には今の日本経済、ないし我が業界には、リーダーシップを活かす勇気が欠けていることが気掛かりである。事前に自分を変化させない。ことが起こらないと処置をしない。花き業界も一般社会も同様だが、弱い立場の人が変化に敏感で、生き残りのための行動を先に起こす。順番は個人、事業会社、政治、官僚、あるいは生産者、小売店、卸、系統の順である。この危機感のタイムラグを埋めていかなければ花き産業は無論のこと、日本経済がこのまま落ち込むと予感する。


1997/10/06 磯村信夫