葬式


私事だが、このところ親戚で2件葬儀があった。あまりにも素晴らしい死に方なので、私もかくありたいと思った。
9月下旬、私の妹の亭主が49歳で亡くなった。春に自ら膵臓ガンではと診断し、入院して悪いところを取ってもらうつもりであったが、開けて見たら他にもガンは転移していて、そのまま塞いだ。本人は摘出出来たと思っていたらしく、手術後お見舞に行くと、再起の言葉を口にしていたが、その後もあまり良くはならなかった。妹は問われると、やらなければならないこともあるだろうと思って、真相を語った。彼の選んだ残りの人生の生き方は2つ。病院を出て自宅にいる。商社マンであった彼は結婚生活の半分しか家族と一緒にいられなかったので、残りの人生を一緒に過ごすため。広島に単身赴任していたので家族のいる名古屋に勤め先を替え、今までやってきたエネルギー関係の仕事を会社としてどのように発展させて行くべきかのレポートを書き、後任に繋げること。このように医者に宣告された残り3ヵ月を使った。結局8月上旬に最後のレポートを書き上げ、上司に提出に行く際には体力は甚だ弱っており、初めて妹に車を運転させ、バケツを持って乗り込んだ。話を聞くと、7月からほとんどタクシーで会社に行っていたようだ。亡くなる直前には内臓の各所にガンが転移し吐血することがあり、数日前にはタクシーの中で我慢出来ずに車内を汚してしまったということらしい。
そして一昨日亡くなった伯父は、自分でどのような状況かを把握し、医者や看護婦に自分の治療について指示を出していた。2度ほど見舞に行った折りも、今自分はどのような状態でどうやって死ぬかを私に明確に語り、その後日本の将来について共に話合った。私の父もそうであったが、自分の命を最後まで所有し、この世の寿命を使った死に方をした。大変悲しいことではあるが、しかし自然の摂理の中、淡々とした死に様であった。
この2件の葬式で、花が葬儀のますます重要なウェイトを占めてきたことがわかる。義理の弟は同期のトップを走っていた男だったので、盛大な葬式だったが、祭壇の花、供花ともその数は目を見張るほどだった。伯父はパイロット仲間では知る人ぞ知る存在で、リタイアして2年経っていたし、また故人の意志もあり、近い親戚だけの葬儀であった。そこでも戒名も付けず、人知れず死んでいく形の葬式のスタイルとなったが、花は花祭壇として多く使われていた。
キクの産地の人々は葬儀の多様化で消費減を心配しているが、私の実感では心配無用というところであろうか。


1997/10/20 磯村信夫