ガーデニング


今日、明日の雨でソメイヨシノも見納めとなってしまうことだろうが、街を探索すると、思いのほかコンテナガーデンやハンギングバスケットやらできれいに飾っているところが目につく。我が家でも妻は時間があるとコンピューターとガーデニングに精を出している。
店を覗くと、今まではまさに製品化されたものしか売れておらず、ツボミだったり咲き過ぎていたりすると片隅に追いやられていたが、今ではガーデニングで経験を重ねたのか、そのようなものまで売れている。問題はこれからで、知識を教える人達がお店に少ないということであろう。
昨年からガーデニングを楽しむ人達が、特に郊外で増えてきたのは庭のある一軒家に住んでいるから当たり前であろうが、23区内でも結構ここにきて増え出したようだ。自分の力だけではなく、自然の恵みを感じ取っていくことそのものが現代には欠かせないのであろう。
世界の需要動向を見ても、2桁に近い伸びをしているのはガーデンプランツと言われる苗や苗木である。日本では鉢物もガーデニングの素材になってきているから、一般の人達が着目するのも当然のことであろう。グローバルコンペティションと情報化の中で、ちょっとした油断が命取りになったり、問題を先送りしていると何時の間にか成り立ち得なくなってきているのが仕事サイドから見たこの世であろうが、私生活レベルではそれを癒すように時の流れを噛み締めたいと感じているに違いない。それがペットなどの動物との関り合いからガーデニングや登山、あるいは散歩といった自然と自己との調和を時系列的に感じようとする強い欲求になって現れている。切花も同様で、動きのあるもの、即ちツボミから満開になり、花が終わっていくその過程にこそ価値を見出すようになった時代なのであろう。




1998/04/06 磯村信夫