599日


2000年まで、後599日となった。
新聞には様々な変化が報じられているが、ここ半年、来世紀へ向けて新しい取組みを知らせる記事が紙面の前の方に載るようになってきている。毎日おびただしい意思決定がなされているが、その本質を捉えた記事が少ないのが残念である。ことに日本の記事はあまりにも地表の表面のことのみを書きすぎているように思う。本質はプレートがどう変化し、どこに行こうとしているのか、その為の地震のような現象がこの意思決定だったり、この記事である、というコメントが少ない。
ここで言いたいのは、長い歴史を持つ日本という国が、極東の片田舎から、GDP世界第2位の国としてそれに相応しく世界の中央にプレートが移動していくための構造改革の軋みや、海外からの「豊さと経済力に比類した気概を持っていないじゃないか」、「それなりの具体的な手を打っていないじゃないか」「G7でも世界の舞台に引きずり出されたという格好になっている。これでは湾岸戦争の時と何も変わっていないじゃないか」といった批判である。
2000年まで599日となった今日、つくづく考えるのは、男性よりも女性の本質を見抜いた目や発言である。仲卸ハナヤスさんのお姉さんは、「仲卸の経営悪化と2極化というけれど、社会的に役に立たないところはなくなればいいんです。」また私的ながら小生の家内は「今まで2流のものを作っていたり販売しているところも売れてたのがおかしかったんじゃない?」と、もっと情緒的な哀れみの言葉を期待していたにもかかわらず、その発言は鋭い。僕自身は、今あるのは今までの必然を引きずり、ベストに近い状況であったはずだ。しかし外国語などできなくても、考え方は日本の伝統に根差した上に、国際的な志向を取入れて海外と協調して行かないとやっていけなくなる。だから今までのことを見直し、変革すべきことは思い切って変革する。そして新しいルールを作っていくことが必要である。規制緩和といって新しいルールを作らないのでは何もならない。役所も許認可制から届出制、管理や監督は事後チェック制にして、新ルールに基づき、ルールを犯した人にきついペナルティーを課す。このやり方しかないのではないか。
はなの取引に関して言えば、母の日前、予約相対が大幅に欠品し、カスミソウでセリにかかるものが少なかった。よってセリ価格は暴騰したが、これとて「予約相対は別枠集荷。欠品の時はセリの中から抜いてください」という現行の慣習がおかしいのである。細部に至るまで現状の欲求に応えるだけでなく、来世紀を見据えて新しいルールを確立する必要がある。




1998/05/11 磯村信夫