花で勇気付ける


先週は日本の経済も「サプライ・サイド」の経済学に徹する必要がある旨を申し述べた。
このことは端的に言うと、生産性=効率の高い人や会社が、創造性を持って事業拡張や新規事業にチャレンジしていくことこそ、日本の復活に欠かせないとするものだ。これはアメリカ、イギリス、オランダが取ってきた政策で、今日本もあらゆる業界で導入し、自ら汗する必要があるということであった。
しかし、人間は仕事ばかりしているのではない。
仕事を離れた時に充電する。充電は神、善、美に感動したり、生物的欲求を充たすことによって得られる。そのこと自体は効率のプログラムから離れて気の向くままに行なっているのである。
このごろNHKのラジオを聴いていて、戦後と同様に音楽で国民を鼓舞しようとする意図があるのではないかと感じている。例えば昨日は雨だったが、雨を受け入れるように「雨々降れ降れ」を流している。これはまさに戦後の混乱期に美空ひばりが「りんご追分」で人々を勇気付けた状況に似ている。確かに戦後は食べるものもなくないない尽くしであったので、音楽が日本人を勇気付けた。今はモノが有り余り、音楽だけでなく花も効率に疲れた人々を勇気付け、少なくとも素直に現実を受入れさせることができるのではないか?
我々は仕事をしていると、努力が報われないと嘆くことも多いが、しかし我々が供給している花は、効率から離れたものとして消費者に受入れられ、各自の生きる喜びを与えていることを再確認する必要がある。仁慈を尽くして天命を待つという言葉がある。我々は消費者と花とに仕え、仕事上の効率は遡及するが、仁慈を尽くしたならある意味でゆったりした心持ちで仕事に取り組み必要があるのではないか?戦後に比類する激動期である今日、物質的豊かさを乗り越えたところに消費者の生きがい発見があるとすれば、花もその一つであることを認識して、日々の業務に励まなければならないと思う次第である。




1998/06/15 磯村信夫