我々は物流業者である


市場機能の中で、今まで強調されすぎたきらいがあるのが「商流」である。
商流を中心に卸各社は組織編成がなされている。仲卸も仕入調達を中心に担当が配置され、組織作りが行われている。小売店もアレンジ技術などの付加価値技術と仕入を中心に仕事が構成されていた。
しかし実際はJFTDの仕事でも、物流は1、アレンジ技術が2という優先順位である。花店へ勤めると「配達ばかりで...」とこぼす若者がいるが、それは物流が業務の中心であることを物語っている。切り花の水あげも、今では物流加工技術といっても差し支えない。
仲卸は車の台数を見る限り、これも「物流業者」である。相場を決定するのは確かに知識が必要だが、今まで商流と考えていた取引業務も今で言う“ロジスティックス”という新物流に含まれる。「何を何束、この店に」この小分けの作業こそ、まさに仲卸はまったく物流業者であるといって差し支えない。
卸の業務は在庫を持たない倉庫業そのものである。そしてこの花き業界は、物流に対する考え方がひどく遅れているところに無駄な経費を垂れ流してきた理由がある。
ここで物流の話から本来の商売のエッセンスについて話をすると、販売促進こそもっとも欠かせない作業であることがわかる。花余りの時代、新規に自社の消費を拡大してくれる顧客に対して営業するのである。単に勧誘すればいいというのでなく、当然資金回収して商売が成立するのだから、回収を一義に考えた販売促進活動をセグメント別や業態別にしていく必要がある。ヤマト運輸は物流を前面に押し出し、主に本社で商売をしているが、ヤマトの比率と同等の物流を重点におき、その上に本部機能として営業を乗せる。この方が花き業界全体のコストパフォーマンスがあがるのではないかと思われる。
産地の集出荷所を出る時間が、「荷が多いと遅くなる」とか「行楽渋滞にはまって市場到着が遅くなった」という。これは農協や農家に、物流業者としての意識が欠けているということである。
今後、朝積みまで含め、スケジュール管理した物流体制を敷くことが、自社の営業上も欠かせないといった時代が来るのである。




1998/07/27 磯村信夫