精神活動


きのう、久しぶりに釣りに行った。飯岡から出て、花鯛とひらめ狙いである。魚のいるところは海鵜も良く知っており、つり船のいる近辺には、夏はカモメだが冬は海鵜が多くいた。茫洋たる太平洋の中で、海鵜は生きるために魚を求めて沖から遥か離れたところにやってくる。
このところ、経済の底打ち発言が聞けるようになったが、一方では今年は悪い不況から良い不況にしようという現状を受け入れる、大人の姿勢を語る記事が目に付くようになってきた。人の営みのパラダイムが変わり、今までの延長線上で物事が進まないと判ったとき、各国では宗教と歴史を学び直し、その民族にとってのこれからの損得の価値基準を見出してきた。そこに冷戦後の民族紛争があるのだが、日本人は歴史と宗教を学ぶことを怠ってきたので、善良で健全な個人であるにもかかわらず、国レベルや世界レベルでは間違いを犯してしまいやすい。経済学でいうと、総合の誤謬である。一人一人が支出を控え、貯蓄することは至極健全な経済活動であるが、総合的にはデフレ経済となる。もし日本人のコンセンサスがデフレになっても、物質的な豊かさを追い求めることはやめるというものであればそれもよいが、そのコンセンサスがないままデフレに陥ると、善良な市民は困惑するばかりである。まずは各自の越し方と、精神活動を復活させていくことこそ、明治以来豊かさを追い求めてきた日本人が、次に始めなければならないことである。


1999/01/11 磯村信夫