ベンチャーの目


今、日本の近代化への道を振り返る動きが活発化している。アイデンティティーの喪失と共に、ほとんどの国の人達は宗教に戻り、安心を確認した後、再出発するが、日本では宗教があるといえばある、ないといえばない状況なので、日経新聞に考古学記事がかなりの比重で取り上げられているように、歴史に学ぼうとする動きが集まった。
外国人と話していると、なぜ明治時代の武士は、暴動も起こさずに自分の地位を捨てたのか?なぜ近代国家に生まれ変わることができたのか?それも徳川の鎖国政策の後すぐに...という疑問があるようで、つたない英語でそれを説明するのにいつも難儀する。資産を持った資本家がいて、「どうすればもっと金儲けできるか」という経緯で西洋の資本主義は発達したが、かって武士であった優秀な経営者が事業を経営することによって、この国を近代国家へと導いた。武士は経営者予備軍であったのだ。
三井、住友にしても、資本と経営が早いうちから分離された。利潤追求や株主価値が、特に公開企業で最近言われるようになったが、近代化への日本の道のりがこのような経過で進んできたので、西洋人から言うと「日本の会社は何を今更ROEなどというのか?」ということになるのである。シュンペーターが資本家と経営者を明確に分けて考えたが、健全なる中小企業によって支えられている我が国経済は、歴史的経緯を見ても経営者マインドに富んだ国と言えよう。ベンチャーは必ずこの国から多数排出される。


1999/01/25 磯村信夫