日本人の伝統的な“死の受け入れ方”


昨日はバレンタイン・デーであったが、2日早い小生の誕生日を家族で祝ってもらった。その時娘がインターネット占いで小生の寿命と弟の寿命をみてくれた。50に近くなると、いつ死ぬかということが大切になってくる。娘は「お父さんは60才で死に、タカ(弟)は96才まで生きる」と、別段深刻な雰囲気の会話ではなく、楽しそうに話していた。そろそろ娘も年頃になり、タカも5年以内に結婚するだろう。どこに住むかということから、こういう話に到ったのである。
その時、小生は子供達に次の話をした。「青年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽ろんずべからず」、また松尾芭蕉の「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」
世の中が老齢化し、60才定年で7万7千人の就労者がいるという。たいへんおめでたいことで、第2の人生を晴耕雨読で過ごそうと実行している人達。シェイクスピアはリア王の中で「人は泣きながら生まれてきて、独りで死んで行く」と言わせているが、死についての心持を書いた絶品は、吉田松陰の次なる分であろう。
「今日死を決するの安心は、四時の順環に於て得る所あり。ただし彼の禾稼を見るに、春種し、夏苗し、秋苅り、冬越す。秋冬に至れば、人皆其の歳功の成るを悦び、酒を造り醴(れい)を為し、村野歓声あり。未だ嘗て西成に臨んで歳功の終わるを哀しむものを聞かず。吾れ行年三十、一事成ることなくして死して禾稼の未だ秀でず実らざるに似たれば、惜しむべきに似たり。然れども義卿の身を以って云えば、是れ亦秀実の時なり。何ぞ必ずしも哀しまん。何となれば人寿は定まりなし。禾稼の必ず四時を経る如きに非ず。十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。二十は自ら二十の四時あり。三十は自ら三十の四時あり。五十百は自ら五十百の四時あり。十を以って短しとするのはこ蛄(こ)をして霊椿たらしめんと欲するなり。百歳を以って長とするは霊椿をしてこ蛄たらしめんと欲するなり。斉しく命に達せずとす。」
この淡々と人寿を受け入れる姿こそ、日本人が培ってきた誠であろう。このことを子供達に伝え、次の我が家の未来を托したのである。


1999/02/15 磯村信夫