桂枝雀


桂枝雀が亡くなって、毎朝目を通す新聞に彼の記事が出ていないかと探していたが、ようやく読売新聞に載っていた。彼の落語をここ15年ほど好んで聞くようになり、いくつか実際の高座を見に行った。いわゆる「寄席」の雰囲気とは違い、かなり広い会場でもその広さに負けない輝きをもつようになってきたと感じた。ここ5年位は「そこにいるだけでおかしい」と思わせる存在になろうと努力し、実際それを体現しつつあった。
神戸大学卒業後、「おもしろい落語がない。だったらオレをおもしろいと感じさせる落語をオレがやろう」と決心して、落語家になった。いつも完璧を目指していた。大変ロジックな人で、枕やオチだけを横ぐしして一つの話にしてしまったり、ほぼ完璧な英語を使ってネイティブスピーカーをも唸らせた。いつか自殺するなと感じながら高座を見ていたが、極度の鬱病になったこともある人故、鬱の性格なら自殺はしまいとたかをくくっていた矢先の出来事だった。これで何度目であるか?芥川や川端康成が自殺をしたことは何となく解せるが、落語家が芸道で自殺して行くというのは、哀れで腑に落ちない。あまりにも真正面から取組み過ぎて、おかしみが感じられず、こちらの方も参ってしまう。唯一言えることは、「死んで良かった」。何やら小生には意思で助けられるのを拒み、死んでいったように思えるのだが...。


1999/04/26 磯村信夫