マーケットメイク


 新聞の投書欄にも江藤淳氏の死について載せられるようになってきた。小生が小林秀雄をライフワークにするようになったのは、江藤淳の小林秀雄についての評論からであった。これまで難解とされていた小林秀雄の文体も、こういう風にしか書けないのではないか?と思っていたが、彼の著書を通読するにつけ、自分の中にすっと入ってくるようになった。

江藤淳は三田文学の巨匠として仕事を進めてきた。ご存知の方もあろうと思うが、阪神大震災の直後に皇太子殿下が外遊された時、その行動と宮内庁、外務省に対する批判をするなど、毅然とした態度を貫いてきた。京大の高坂正尭、そして江藤淳、またその前に司馬遼太郎など、この国の形を作ってきた人たちが相次いで亡くなってしまったことは、混沌から新しい秩序に向けての作業をしている日本にとっての大きな損失であると、残念な思いがする。

さて、このところキク類の相場が安値で推移している。特に白菊と小菊類が安い。白菊は品種変遷の中、代用品種となってしまった精雲が足を引っ張り、安値相場となっている。小菊は前進開花で需要期を外し、多量に出回っている。

このような時、民間の組織である生産協会などが音頭を取り、生産調整をしていく必要があるように感じる。その時問題になるのが、主にAPEC諸国からの花である。これらは直接卸売会社に出荷されるのではなく、必ず輸入商を経て出荷されるので、それらの業者にも準会員になってもらうなどして日本の適性量を知り、増減をさせていく必要がある。少なくても相場変動の激しいICなど、コンピュータ関連の部品業界のように、アナウンス効果によってスピーディーな生産調整をしていくことは、欠かせないものと思う。

市場価格が一方にあり、一方ではマーケットメイクがある。マーケットが許容限度の中で推移しているうちはいいが、高いにせよ安いにせよ限度を越えた範囲で展開されているとなると、どこかがマーケットメイクをする必要がある。それも国ではなく、民間がいつでも集まれるようにする必要がある。
このように、大蔵と株式会社である日銀の役割を、花き業界も持つ必要があるのではないかと考えている。社団法人はそのようになっているのではと考えるが、如何なものであろうか。花はまだ宣伝もしておらず、現在の足踏み状態を成長した証であると見るには少し早いというのなら、花に関わる人達が資金を供出し、消費者向けに宣伝していくことがまず大切である。供給サイドである卸売市場とは別に、宣伝とマーケットメイクのために上記のような機構が必要なのである。これは独禁法にはふれない。




1999/07/26 磯村信夫