買いたいと思う花を供給できたか


 戦後、日本の品質をここまで高いレベルに導いたのが、デミング博士によるところが大きい。今でこそISO1400に関心が集まっているが、デミング賞は日本では冠たる輝きを持つ。

そのデミング博士が、①品質を決めるのは、経営者である。②受身で仕事をしてはならない。むしろ消費者を教育してこそ能動的な仕事である。と言っている。ポイントはここにあろうが、IBMは「Think」を社是の一つにしてきた。もう一つはキルケゴールの「野鴨たれ」である。しかし、ネットワーク社会が築かれようとしている現在、最も有望視されているのがシスコである。

このアメリカ企業シスコの社是は、「Listen」である。これではデミング博士のいう受身の仕事になってしまうのでは?と思っていたが、そうではない。この社是は、我々に2つのことを教えてくれる。「顧客価値に基づいて仕事や組織を変え、それが供給できるようにしなさい」と、「個人や会社のライフスタイルを尊重し、One-to-Oneマーケティングのようにそれぞれの消費者の希望が叶うようにしなさい」ということである。

リーバイスのオーダージーンズで脚光を浴びることになったOne-to-Oneマーケティングを、時価総額では超巨大企業と言われるシスコがやり遂げようとしている。このように考えると、我々日本の花き業界は何をやっていたのだろうか?と、悲痛な面持ちにならざるを得ない。市況商品ゆえ、需給バランスそのもので全てを処理してしまったのではないか。

手数料を収入源とする卸は、「高ければハッピー、安ければ悲しい」となり、その商品における消費者価値を創造する努力を余りにも怠ってしまったのではと、深く反省する。産地が出荷先を多く持つのも、小売店が仕入先を多く持つのも、需給バランスのみが価格に反映されると考えている人がいかに多いかを物語っている。花は市況商品ゆえに、もちろんリスクを回避する手立てとして、大手なら一定の出荷先や仕入先を持つことは、経営の安定には欠かせないことだろう。しかし、相場は需給バランスという消費者価値だけでなく、新規性や花もちなど、他の要素が含まれていることを、ここで思い起こす必要がある。シェアは消費者価値創造の結果であるという現代の法則が、花には適合しないことになる。量でねじ伏せるというシェア優先の考えは、もう時代遅れであるにもかかわらず、交渉力の唯一の武器のように振る舞う業界人があまりに多い。

一般論として、大はマスマーケットを狙い、価格戦略に出る。しかし、結婚式や葬式、仏花の多様化などで、マスマーケット自体が消失しようとしている。利益確保のため、大は差別化を行う必要があり、中小は差別化、集中を迫られている。いずれにしても、業務を深堀りしていかなければならず、生産者は外観のみならず、花もちの良い、咲ききる花を生産すること。卸売会社や仲卸、小売店は鮮度保持を万全にし、消費者価値を失わないようにしながら、ユーザーの利便性を優先しつつ、購買意欲を起こさせるようなマーチャンダイジングに励む必要がある。このようにそれぞれの分野が消費者価値創造という共通の目的で結び付き、後は市場(マーケット=市況)に身を委ねるという、アパレル産業と同様の業界構造に変えていかなければならない。

繰り返し言うが、花き業界は相場が全てだと思い過ぎていはしないか。その前にもっと生産地、流通業者は努力しなければならない。生き物ゆえの悲しさで、生産も販売も、天候に左右される。それゆえ零細業者がこの業界には多いのだが、だからと言って、産業人としての努力を怠っていて良いということではあるまい。高く売れてしかるべき物を供給していると、産地、流通業者、卸は言う。しかし、真に高く買ってくれるものを供給したと言い切れるのか?ここが日本の花き業界が隘路に陥り、価格が下落し、業界全体としての取扱金額が一時的にせよ減っている真の原因なのである。お金を出しても思わず欲しくなる花を流通させるべく、努力をしようではないか。決して相場だけが全てではないのである。




1999/11/01 磯村信夫