狼の母性


昨日小学校のときのクラス会があった。もう17、8年もの間、7月の最終の日曜日で行われており、恩師の井坂先生は79歳になられた。まだ矍鑠(かくしゃく)としていらっしゃり、近況報告で先生は前向きな生活態度と老人医療の悪平等について、そして子供たちの教育、とりわけ社会性について薫陶された。どうもお説教めいた話になってしまうとおっしゃっていたが、我々にとってはいつまでたっても先生であることには変わりない。物の考え方について幾つかクラス会を通して教えて頂いたが、我々が30歳代後半の頃の、始めて2,3回目のクラス会のときに狼の母性本能の話をして頂いた。ちょっと長くなりますが皆様方にご紹介します。

雄と雌の狼が仔羊を襲って食い殺した。ここの動物世界では他の動物を襲うことは全面的に禁止されている。そこで2匹の狼は裁判にかけられた。裁判長は猿である。鷹の判事は「死刑」を求刑した。雌の狼は次のように弁明した。「裁判長様、私は自分の犯した罪を償います。でも、私のお腹には間もなく生まれてくる子供がいます。私も自分の子供を孕んでみて始めて子供の命の尊さが分かりました。このお腹の中の子供には罪はありません。そこでお願いがあります。私が刑に服する前にこの子供を産ませてください。」

これを聞いて傍聴席にいた動物は感動した。「子供だけは助けてやれ。」「子供の母親になる狼だけは助けてやれ」という声まで出た。すると子供を食い殺された母親羊が言った。「それではこの狼たちに食い殺された私の子供はどうなるのですか。」象は言った。「この狼は本当に悔い改めているのだろうか。自分の子供を産むことばかりに熱心だがそれは彼女自身の都合に過ぎない。しかも母性本能に訴えるような発言で、同情を買って少しでも有利な判決を得ようとする。これまた自分本意の計算によるものではないか。」

すると賛否の声で法廷は騒然ととした。猿の裁判長はじっと考えていたが、法廷を静まらせると次のように言った。「それでは判決を言い渡す。被告2匹を死刑に処す。もともとこの事件に対する正しい裁定は、この雌狼に子供を産ませしかるのちにその子供を被害者の母親である羊に殺させるということである。そうすれば「目には目を」の原則に基づいて正義は申し分なく回復される。母親になった狼も自分の子供を殺された羊の母親の苦痛を味わうことができるであろう。しかし、法の下ではその様な処置を取ることはできない。本官は刑法の定めるところに従って下手人の狼たちに死刑を宣告する。そして直ちに刑の執行を命ずる。まだこの世に生まれていない狼の子供は存在しないものと考えるべきである。もしこの被告の希望を叶えて狼の子供を誕生させたとすれば、われわれは将来同じ犯罪が繰り返される危険を背負い込むことになる。諸君、それは賢明なことだろうか。」動物たちは拍手してこの判決を支持した。




2001/07/30 磯村信夫