暮らしを考える=地元商店街の大切さ


毎日仕事が終わった後、運動を兼ねて街をジョギングするようにしている。そこで気付くのは、商店街は街のコミュニティだということである。商品がいっぱい並べられていたり、人が商店街にたくさん集まっていたりすると活気があり思わず嬉しくなるが、JRとして民営化されてから駅は賑わっているものの、街そのものが衰退しているところが目に付いて、これでは暮らしに面白さがなくなってしまうのではないかと感じながら走り去る。

「最近の店舗改装時期調査」によると、20年以上改装していない商店街の店舗が15%もある。11年から15年前に改装したところが17%あり、また3分の1が成長を犠牲にしても投資を避けるといっている。これでは商店街が活気ある街として機能しない。99年の中小企業基本法により、今まで中小企業を弱者と位置づけ、全体の底上げを図ろうと国は手助けしてきたが、この方針を変更し頑張るところを支援することにした。日本の花き生産が強いのも永きに渡り国が面倒を見なかった為であり、それゆえ日本は世界の三大花き生産地となり得たのである。勿論花好きの国民であるという前提があったのだが。

話を戻して、今量販店のスクラップアンドビルドが盛んに行われており、商店街にあった量販店が畳まれ郊外により大きな店が建っている。ロードサイド店も日本中各所で見られるようになっているが、どこを見てもその土地らしい風情は感じられない。それらを見て思うことは世界最大の小売業者であるウォールマートの出店を阻止したアメリカマサチューセッツ州のグリーンフィールドでの出来事である。出店を阻止した発言を話す前に、日本とアメリカの違いを言っておく必要がある。日本では中小の業者を弱者として位置付けたが、アングロサクソン資本主義国家のアメリカでは当然そう位置付けていたわけではない。むしろウォールマートに来てほしいと当初アメリカ各地で勧誘し続けていたのである。私個人は専門店や量販店は社会的な役割が明確に異なり、それぞれ必要不可欠な業態であると信じている。量販店がスクラップアンドビルド等の努力をする中で、「今は専門店の時代」と言われているのは、今日本で時代を捉えた活躍を期待したいとする消費者が多いからであろう。

さてそのグリーンフィールドの住民たちはこのように言った。「我々は店を手に入れるのではない。コミュニティを失うのだ。その理由はいくつもあるが、商店の影響だけでなく、街の景観を失い、人のふれあいが失われるからである。」またこうも言った。「ウォールマートが職を作るといっているが、時給4ドルから7ドルの販売員の仕事ばかりであることも拒否する理由のひとつである。」現にグリーンフィールドの出来事からウォールマートは1996年の1995店舗をピークに、1997年には1960店舗にまで減少している。

チャールズ・ハンディという「EUのドラッガー」とも言われる学者がいるが、彼は『ハングリー・スピリット』の中で「効率は社会存続には不可欠なものかもしれないが、結局のところ効率そのものや効率を組み込んだ経済モデルに生きる理(ことわり)という大きな飢えの回答を導き出すことは出来ない。純粋に経済的な領域以外にもっと多くの活動を作り出す必要がある。そこでは人のやる気が効率とは無関係で内発的な満足に関連を持つことになる。そして金と市場は人がものを考えるときにあまり重要なことではなくなっているだろう。」

かつては○○銀座が日本中にあったが、今は量販店を中心にショッピングセンターができている。これらも勿論必要だが、効率は車の道路のように直線であるので、人が歩く上でくたびれる。街の景観は美しくありながらも猥雑で渾沌としているところに心地良さがある。土地柄に根差した商店街の復活が望まれるが、そのためには商店街を街の財産と見るリーダーの存在が欠かせない。




2001/08/20 磯村信夫