海運業者の規制緩和とロジスティクス


2月号の文芸春秋で、「失わなかった10年輝き続ける30人」という特集があった。その中にインターネット証券取引で大活躍をしている松井証券の社長が語った記事が頭に残っていた。日本郵船から義父が経営する松井証券に入ったのだが、当時は証券業界が規制緩和で揺れ始める頃だった。
彼が在職した間、日本郵船(周知の通り、坂本竜馬の作った海援隊が基礎となった極めて古い株式会社である)は、既にグローバリゼーションの中で規制緩和されていたから、証券業界の規制緩和施策で当惑している業界人を見た時「去勢された旦那衆」と映った。そこで初めて彼は猛然とやる気を出す。徹底した顧客主義のもと、会社をスクラップアンドビルドしていくのだ。この記事が頭に残り、私は物流業者のグローバリゼーションについて調べたくなった。この分野で日本の第一人者である宮下國生氏曰く、「1984年の米国海運法により、1880年代に海運業者が産業として独立して以来、1世紀に渡って堅持してきた顧客無差別性の原則から、柔軟で個々の顧客データを個別に評価するサービスコントラクトと呼ばれる契約方式に転換した。」このように、現在はロジスティクス、更にサードパーティロジスティクス、或いはサプライチェーンマネジメントパートナーなどのコンセプトの実現が業界において推し進められている。

ここで2つのことについて書きたい。一つは海運業者における規制緩和の流れについて。もう一つは生鮮食料品花きのロジスティクスの現段階についてである。

宮下氏から学ぶと、1880年代において、世界海運市場が成立した。(この次期は現在のデフレ経済の前唯一のデフレの時代である。)ボルティック海運取引所やニューヨーク海運取引所、及び世界360の航路網を張り巡らせた海運同盟のネットワークが生まれ、市場メカニズムを支える制度として役割を果たしていた。どの産業もそうだが、市場が規模拡大するためには、当初は誰でも参加できる取引機構を用意しておく必要がある。これを果たしたわけだ。
しかし、市場規模が拡大し、取引内容が多様化するのに伴い、短期循環的取引(花で言えばせりでの取引)と長期趨勢的取引(同予約相対的取引)が大きく区分されるようになってきた。これが第二次大戦後に物流業の場合、長期契約に基づくコントラクト輸送領域を成立させていった。そして、宮下氏の見解では、1984年の米国海運法が引き金となって、規制緩和となっていったのである。ここで重要なことは無差別的という水平の取引では、機能が物を運ぶことだけに限られているということである。多数の荷主や買い手にその商品を届けるのなら需要が増大する成長期にあり、物を運ぶだけで機能は十分意味がある。しかし、その業界が成熟してくると当然荷主の数は淘汰され少なくなり、巨大化する。しかも、同じ物を作っていたのでは飽きられてしまい、荷主は生産活動ができなくなる。そこで出てくるのが、サプライチェーンとして荷主とロジスティクス業者があたかも一つの会社のように、縦の運命共同体(パートナーシップ)を作ることである。このように、小売店まで垂直統合をした場合、ロジスティクス業者は本来の役割である付加価値在庫物流と需要情報流を担当し、販売計画、生産計画を担うことになる。これがサードパーティロジスティクスとか、サプライチェーンマネジメントパートナーといわれるメーカーのアウトソーシングであるロジスティクス業者の現代の仕事だ。

生鮮食料品花きの物流はどのようになっているのだろうか。海運業に置き換えれば、今はまだ1880年代の仕事の仕方ではないか。これを早く1980年代の仕事、すなわち羽を上下に広げて、物流コストの低減を図るためにも、まずは最適なシステムを産地と卸の間で作らなければならない。同様に卸売市場は更に多様化する買い手のために作らなければならない。これとEDIを同時に行うことが、一般社会のロジスティクスサービスレベルに追いつくことである。この第2期(1980年代の国際物流)のロジスティクスサービスレベルを早くこなし、この10年の後半で第3期(1990年代の国際物流)のサプライチェーンマネジメントに入らなければならない。




2003/02/10 磯村信夫