諦念


高校1年か中学3年の頃だったと思うが、国語の授業で夏目漱石の『則天去私』と森鴎外の『諦念』の話を聞き、なんとなく『則天去私』の方がかっこよく思った。それ以来、『諦念』について深く考えることもなく50を過ぎたが、年齢のせいか、また日本の国を形作る政治システム・経済システム・社会システムの3つのシステムがうまくいっていないせいか、『諦念』についてふと思い出し考えた。『諦念』とは「諦める」の意味ではなく、「明らかに究める」という意味で、「勇気をもって現実を直視する」という意味であると知ったのは、ごく最近のことである。その『諦念』で今の日本のシステムを見ると、島国であるせいか、世界の流れに同調せず、マスメディアは相変わらず1人よがりのことを伝えている。私が感じている世界の動きとは、1970年代後半、法人(事業会社)は国を乗り越え市民権を受け、資本の効率を世界規模で追求してもよいと合法的に認められたこと。次に1989年ベルリンの壁が崩壊し、91年ソビエト連邦が崩壊し、大競争時代に突入したこと。3つ目がIT革命でサービス業が工業と同じように生産効率を高めることができ、よく言われる世界最低の賃金と世界最高の技術が合体したこと。そして4つ目には通貨調整(為替管理)が行われないまま、地球規模で市場統一が進んだことである。これらの事象があり、学者によっては1991年から21世紀が始まったとする人もいる。

国の発展、とりわけ覇権国家の発展は生産に起こり、次いで流通、最後に金融の力を持ち覇権国家となる。また、日本はデフレ経済と言われて久しいが、花も他の物財同様、99年から価格が下がり始め、丸5年もデフレの状態が続いている。しかし、物価を計るGDPデフレーターは、95年からデフレを指しており、もう8年もデフレが続いていることになる。20世紀は会社が儲けたら労働者にも儲けを分配する比率、すなわち労働分配率が高まった世紀であった。儲けは資本家(出資者)と従業員で分かち合うものだが、その労働分配率が高くなりすぎ、資本の効率を再度高めようとする動きが世界中に広がっている。それは覇権国家アメリカが世界の金融の中心となり、ROA(Return on Assets/総資産利益率)とROE(Rate of Return on Equity/株主資本利益率)を最も大切な指標としている。株主や出資者の利益率を高めようとするこの動きはグローバリゼーションの中での21世紀の潮流となっている。

ご存知の通り、実際のモノやサービスで稼いだお金と、お金でお金を稼ぐ金融商品(デリバティブを含む)と、経済界では2種類のお金があるが、既に後者のお金は効率を求めて世界中を駆け巡る。それゆえ、為替調整は現時点でアメリカはもとより、中国・マレーシア・ベトナムも関心がない。あるのは金融国家としてのアメリカの国際競争力と、20世紀の世界の工場日本に代わって、21世紀の世界の工場となる中国の国際競争力の強化などである。

21世紀は前述した通り「デフレの世紀」となる可能性が高いが、デフレ対策には、I.フィッシャー(経済学者)の「デッド・デフレーション」と、シュンペーター(経済学者)の「創造的破壊」の2つの理論があるといわれる。フィッシャーはデフレになっても借金の額は低くならないから、リフレを起こすべきとしている。一方、シュンペーターは豊かだから変われないのであり、シンギュラーポイントを突き抜け、破滅の手前に行ったときにイノベーションが起こるとしたものである。歴史的には不連続に、しかも断絶して21世紀があるとの認識が欠かせないわけだが、一般サラリーマンの所得が下がっていくことや人件費の変動費化などの話題が経済記事を賑わせる。

花き産業も当然21世紀の動向に従わざるを得ず、この中でどのように資本効率を高めていくのか、売上の時代は終わり、利益の時代になって資本の効率の時代であることを再度認識しながら事業を行っていく必要がある。




2003/05/19 磯村信夫