RuleofLawとRulebyLaw


 有事立法成立に向けての国会議論をラジオで聞いていたら、誰の発言だったか定かではないが、日本とドイツはルールを法律化し、成文化して、国家運営している国であると言われていた。歴史的経緯からして日本の成文法は、ドイツから取り入れられたが、日本は今、イギリスとアメリカを中心に結びつきが強まっている。ゲオポリティクス(地政学)的にその地域のNo.2がパックスアメリカーナの時代にアメリカと同盟関係を結ぶことは理解できる。
話は変わるが、経済政策は、どこの国もアングロサクソン流(アングロアメリカン流)に適応できるよう、規制緩和政策を急いでいる。株式の手数料自由化だけをとってみても、1975年にアメリカで施行され、それから10年遅れてイギリスで、そして10余年遅れて日本で施行された。日本でも今、一般投資家に株式投資してもらおうと様々な方策が練られているが、それは世界が株主資本主義の世の中になってきている事実を踏まえたものだ。

さて、そうなるとイギリスのこと、とりわけ法律のことを知っておいた方がよい。イギリスやアメリカの法律はRule of Lawといわれている。Rule of Lawとは、Rule by Lawと異なる。例えは悪いが、赤信号では車が来なくても横断歩道を渡らないことと、車が来なければ渡ることの違いのようなものだ。常識に則ったcommon lawと公正を重んじたequity(ここでは「均衡法」のこと。株式ではない。)を中心に、判例はあるが成文化されないルールでイギリスは国家運営が行われている。神が法を決めた。従って、国王も一般市民もこのルールに従わなければならない。そのルールは日常的に良識で判断された良し悪しと、少数、或いは弱者にも当然ある権利に配慮した公平性(=equity)からなる。一方、Rule by lawは、神が主として国王に法の作成権を与え、対象者は統治する人民で、上はルールを守ることを免れる。或いは、上はルールを守らなくてもお咎めがない。
Rule of Lawはどちらかというと、市民やマイノリティの権利を守るところに重点が置かれている。もちろん、現代はこの2つが入り混じっているが、京都議定書のように理念を掲げ、先にルールを作り、従わせようとするRule by Lawの大陸ヨーロッパ国や日本の運営の仕方で目標を掲げながら、マスメディアなどを使って世論を形成し、良識や常識の判断を環境に配慮しないことは悪いことだという方に持っていくcommon lawの国(=Rule by Law)との違いがある。法律に書いていないことはしてはならないとするRule by Law、法律に書いていないが、良識で判断して、してもよいとするRule of Lawの国と反応スピードが異なるのはやむを得ないことだ。市場法の規制緩和施策もこのあたりのところを見据えて法整備し、運用していく必要がある。




2003/06/09 磯村信夫