「静」なる花の役割


私は日本人が持っている思想の中に、縄文時代から受け継いだ獣や虫、草木さえも人間と同じ位置にあり、それらと共に生きていくという価値基準があると思っています。そのため花を活けるとき、思い切って削いで抽象し、その花の中に存在する宇宙を感じることができます。ですからヘブライの思想とギリシャ・ローマの文化を継承する欧米人とは異なり、日本は手軽に花を買ったり贈ったりということがなかなかできずにいるのだと思います。人間を癒し、楽しませてくれる花という存在よりもむしろ精神的なものを求める性向が日本人にあるように思えてならないのです。「花を飾る」というよりも、「花を活かす」ところに美意識があるので、成熟した日本の社会においても、手軽に花をという気持ちが一定の年齢になるまで根づきにくいように思います。

このような日本の生活美を上手に捉え、表現した展覧会が東京駅の大丸ミュージアムで開催されています。これは輪島塗の漆器とテーブルデザインの展覧会で、ドイツで花を勉強された前谷裕一氏も出展していました。輪島塗は生きていますから、「静」のリズムの中にテーブルや椅子、花や酒、タバコなどを置き澄んだ空間の中にも体温が感じられる素晴らしい作品でした。同じようにドイツで勉強された酒井栄治氏という方がいらっしゃいます。ドイツのフラワーデザインというとメカニカルな印象を持ちがちですが、このお二人の作品を見るにつけ、森の民ゲルマンの植物に対する熱い思いとプロテスタンティズムから止揚され神秘主義に入った心持ちを感じるのです。

花のありかは生活の中に入り込もうとしています。今、花き業界人が学ばなければならないことは、日本人の今後の暮らしについてです。私たちは今まであまりにも花だけを売ろうとしすぎていました。日本人のライフスタイルとライフオケージョンに花がどうか関わり、心豊かな演出ができ、ご主人様と心の波長を合わせることができるか、そこに商売のポイントがあると思うのです。花き業界人はもう少し暮らしの仕方を勉強することによって繁盛できると思います。




2004/02/02 磯村信夫