日本で仕事をしていても国際競争力を鍛えること


チョムスキーが指摘しているように、1978年、個人ではありえないことだが、多国籍企業が法人として正式に世界国籍を持つことが可能となったのは世界の金融界において、地球規模の大競争時代が始まったことを意味していた。80年代は資本の力が増し、資金調達に際し銀行経由に代わり、市中から直接集めることのできる上場会社がより競争力を有していった。小社が株式を公開しようと決心したのは、世界の金融システムの流れの中で日本だけがこのまま間接金融中心の国であるはずがないと思ったからだ。案の定、銀行は焦って80年代末バブル経済を作ってしまった。

さて、日本の産業界を見ると、デフレの進行と共に借金を返す、いわゆるバランスシート不況が総合の誤謬となって不景気が続いていたが、ここにきて企業のバランスシートも改善され、勝ち組みの3分の1、負け組みの3分の1、そして今後どのように生きていくか悩んでいるその3分の1が、盛んに同業者間の合併やら場合によっては有利な身売りなどをしようと考えている。今後景気回復は、日銀の徹底的な為替介入を思うと3度目にしてようやく回復をすると思われるが、これを機に多数のアライアンス(戦略的同盟・横の連帯)や垂直統合(系列化・縦の連帯)が行われてようとしている。花き業界においても世間と同様、生産・卸・小売の3分の1が赤字だが、その上に位置する少ない利益の組織体が業界ごとの戦略的同盟を模索し始めている。向こう3カ年間のうちにかなりはっきりとした同盟や系列の図式が出てくるように思う。どのように生き残っていくかは、結局どのようにお役に立つか、或いは機能を発揮するかということに尽きるので、各組織体のマネジメント能力により、その差はますます開いていく。
花き業界は日本の消費者に向けて仕事をしているのだが、日本の消費者は絶えず国際競争を促そうとしているから、我々自身がドメスティックな仕事とはいえども国際競争力を有しているかどうかが各社間の格差をより増幅していくにちがいない。




2004/03/01 磯村信夫