職人からの脱皮


今日は久し振りに荷が多い。母の日前の需要期に突入したようだ。今年はゴールデンウィークの最終日が母の日となる人も多い。コンビニやインターネットサイト、量販店などでは5日(水)まで母の日の花のプレゼントを受付けているところが多いが、5日は子供の日なのでどこまで数字が伸びるか分からない。前年比2割減を予測する人が多い。
花屋さんはどうだろうか。事前に申し込みし損ねた駆け込み需要をとれるかどうか。来年はもう1日早くなるから、今年の出方をよく見ておきたいものである。
さて、中間流通の社会的存在意義は、経済学的には「取引減少の法則」と「在庫適正化の法則」で説明される。カール・マルクスも中間流通について社会の欠かせない機能として取り上げていた。花は食べるものではないので、どうしても曜日によって入荷量に差がある。特に専門店が圧倒的にシェアを握り、保冷庫などの鮮度保持設備が完備されている昨今なので、日本では月・水・金に切花が多く、火・木・土に鉢物が多い。一方、オランダやフランスのランジス市場では、雇用農業をしている関係もあり火・水・木に荷物が多い。
4月29日(木)の日経流通新聞に「市場経由で流通する切花はいつ切ったのかがわからない」とリードの文章が出ていた。月曜日出荷のものは金曜日に切ったものもあるという内容だが、卸売市場のイメージダウンを引き起こしかねない。産地から直接仕入れて販売している小売店があって、そちらの方が鮮度が良いことを謳おうとしているのだろうが、そうでもあり、そうでもないというのが実際のところであろう。もし、その小売業が鮮度にこだわりを持っているのであれば、店頭に並べた翌日の値段は、並べた日よりも安くなければならない。夕方になったら、見切り価格をつけなくてはならない、現にそうしている小売店もある。このように販売している会社であれば、一定割合まで産直にしていくこともポリシーとしてあってよいだろう。だが、卸売市場を通した商物分離まで入れると、7割は卸売市場流通だという事実を認識しておかなければならない。

市場外流通の話が出たので、先月末、日経新聞で卸売市場について3回の連載の特集記事があった。その中で、なるほどと核心をついた言葉があり、反省させられた。築地の仲卸さんの弁として「築地市場は商売人ではなく、職人だったのです。ですから加工品を中心に市場外流通に流れていきました。」そうなのだ。我々は物販50、作業サービス50という商売人でなければならないのに、職人だったのだ。ことさら評価眼と立ち会いに価値を多き、消費者やお取引先にいかに喜んでもらうか、時代とともに変わる「お役立ち」の価値を十二分に作ってきたとはいえない。
今年の正月に義理の息子(東洋水産勤務)が「お父さん、これからも市場外流通は増えてしまいますよ。」と言ったのを、この記事を読んで思い出した。理由を聞くと卸売市場の人たちは普通のビジネス界からするとクレームの対応が考えらないほど粗雑だというのである。納品したものがよくなかったり、欠品したりしたときなど彼は相手の立場に立って物事を処理する。しかし市場人は風が強いから漁に出られないとか、途中で〜だからしょうがないだとか、とにかく最終的に「しょうがない」で終わってしまうのである。彼と市場の仲卸のクレームの件数は場合によっては同じくらいらしい。しかし、商売をしている義理の息子は、関係を断ち切らないように、またトラブルによって却ってお客様を自分のファンにしようと頑張っている。一方、市場人は相手をプロとしてみようとし、結局自己正当化に終始してしまう。このようなことは花き業界で日常茶飯事のように起きているのではないだろうか。季節指数が高い花き業界は他の業界より頻繁にこのことが起こっているかもしれない。

商売人になりきれないでいる順番は、卸・仲卸、産地、小売で、消費者と絶えず接する小売店にも職人気質の人がまだ多くいることを残念に思う。ここが花き業界の改善すべきウィークポイントである。




2004/05/03 磯村信夫