カント没後200年


 レイ・チャールズが亡くなった。僕が小学校6年から中学1年にかけて最もよく聴いていたシンガーだった。中学1年のとある日、応接間にあったステレオで“What’d I say”を大きな音で聴いていたら、親父にひどく怒られたのを今でも思い出す。
1960年代初頭に米国で初めて黒人に投票権が与えられたと知ったのは高校生のときだ。白人のカントリーウェスタンをも歌い込み、白人層にも広く支持されたレイ・チャールズの人柄が偲ばれる。

今年は哲学者イマヌエル・カントの没後200年の年だそうである。日経新聞を読んでいたら、ロシアとドイツでカントが見直され、新しい国際秩序の中で向き合う個の倫理観を広めていこうとする動きがあることを知った。今年に入って雑誌『経営者会報』の記者の方とカント論議をしたが、僕に生活のリズムと思考力を与えてくれたのはカントであると言っても過言ではない。算数が大好きだったので、当然ロジックの美しさや法則、解のすっきり感に魅了されていたのが高校2年の時。奈良女子大の教授で数学者の故岡潔氏と評論家故小林秀雄氏との対談『人間の建設』を読んで、すっかり数学の科学性(すっきり感)から情緒性を見出そうする心の動きに変わっていった。それは大学3年の頃まで続いた。
その後カントを読み始めたが、20歳過ぎた頃にはカントの思索にはユングの言うところの“アニムス”にある情の海の中にカントの悟性があり、カントの個の理性で我々に語りかけているといった印象を受け、いくつかの著作を読み進めた。

一般的にはカントは父性のシンボルであるようだが、カントの中にはなんと大きな愛情のようなものがあるのかと僕は感ずる。これは僕の間違ったカントの読み方なのかもしれない。しかし、利己で激しくぶつかり合う世界にあって、僕の捉え方に似通ったカント論が出てきている。今のカント論に近い。
キリストは30歳台でなくなったからその教えはハツラツとした若さがある。しかしカントはおじいさんになっても思索を続けていたので、中年以降はその独特な優しさがでてきて、個と国、そして国際社会の秩序へ向けた提案がなされてきたに違いない。

花き業界の皆様方も、ぜひともカントをご一読ください。




2004/06/14 磯村信夫