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2011年2月25日
vol.82 丸福清花園(香川県)
花桃特集、第2弾!
今回やってきましたのは、羽田からびよ~んと飛んで香川県。
香川県の人口約100万人、うち高松市の人口42万人。・・・だいぶ集中していますね。
皆様ご存知でしたでしょうか、高松とはその名の通り松生産のメッカなのです。
高松は盆栽に使われる錦松発祥の地で、現在でも全国生産の約8割がここ高松産のものです。
←松生産の圃場
香川といえば讃岐うどんとイメージを直結させてしまいますが、しかしこの花業界では別の方程式がございます。
松ではありませんよ( ^ー゜)b
香川から出荷される花桃(以下モモ)を忘れてはなりません。香川県で花桃の生産といえば、丸福清花園(まるふくせいかえん)さんです。香川県高松市国分寺町にあり、香川県の中心寄りに位置しています。
丸福清花園さんは、高松市街から20分、高松空港から25分のところにあり、徳島、高知、愛媛にもそれぞれ1時間で行けてしまう大変利便性の良い立地にあります。
こちらは、丸福清花園第2代目の現取締役会長の福家義哲(ふけ・よしお)さんです。
う~ん、“福の家”だなんて、なんとも縁起のよさそうなお名前
なんと福家さんは大学をご卒業されてから10年間、皇居警察に勤務、現在の皇太子様が幼少の頃、護衛についていらしたという業界でも特異な経歴をお持ちの方です。
そもそも戦前は地主さんで900坪の庭木から生け花用に木を切って、生け花の先生方に提供していたそうです。
これを当時“切り出し屋さん”と言い、戦前はこれが結構盛んだったそうです。
ところが昭和48年、お父上である初代の福家行雄さんが枝物で農業を始められるということで、義哲さんは10年務められた皇居警察を退職され、御実家に戻り就農されました。ちょうどこの設立のときに義哲さんの奥さまのお腹にいたのが現在の代表取締役社長の耕也(やすなり)さん。
丸福清花園3代目。
生まれたときに「この子は生まれながらに就農するから頑張ってやってもらうように“耕也”」と命名されたそうです。現在の耕也社長はまさに丸福清花園の歴史とともに成長されたのです。 そのような経緯で福家家3代に亘り枝物生産に取り組まれている丸福清花園の知られざる生産現場を探ってまいりましょう!
原点とコンセプト
ある日、小さな子が入院中のおばあちゃまに “桃の節句やし、モモの花でも買って届けて、早く良くなってもらおう” とお店に行ったら、桃の節句直前だというのにモモの花がなく、泣きながら帰ったという話を行雄さんが聞きました。
昭和50年代当時、枝物の消費の中心は生け花用だったので、現在とは違い店頭で一般向けの桃は3月3日を目前にして、既に売り切れていたのです。
ショック・・・(+_+)チーン!
当時、全て生け花用として130cmのみを出荷していた行雄社長は、小さな子にこんなに残念な思いをさせてしまい、規格外の短いモモを捨てるのは忍びないと、地元国分寺町の園児約500人にモモの無償提供をを始めました。
すると、園児たちは小さいながらも字を書くことができて、多くのお手紙をもらったそうです。
その内容はついつい笑ってしまうものから、目頭が熱くなるものまで・・・
「飾ったら、となりのポチが見に来ました」
「家に持って帰ったら、ママが涙を流して抱きしめてくれました」
などなど、たくさんのかわいくて温かいお手紙を壁に貼って、子供たちの気持ちを受け止めました。
それを指さして当時の行雄社長が
「義哲!見てみぃ」と。
義哲さんの胸にこみ上げるものがあったといいます。
このことが丸福清花園さんが「普段使いの枝物」を開発する原点となったのです。
ところが、“モモの後片付けが大変だから・・・”と一部の園児の父兄から無償提供に関するご意見がありました。よかれと思ってやったことではあったのですが、それが善意の押し売りであったと思うようになりました。
そこで、行雄さんは「子供たちは求めているのだからと寄付ではなく、欲しい人が手に入れられるようにすればいい」とMSブランドを立ち上げることにしたのです。
こうして生まれた丸福清花園さんのコンセプトは“脱生け花の枝物”。
生け花用や特別の日のための枝物ではなく、消費者の皆様に日々楽しんでいただくための枝物を提案、供給していくことです。
最初に取り組んだスーパーでの販売で評判がとても良かったため、生け花ではない日常花としての産地作りが始まりました。
今では日常花としての枝物生産の専門性をより高めようと、品目を特化して栽培を進めています。
記録 ~「OTAへの出荷が始まる」~
福家さんは昭和58年以来約30年間、経営や生産に関することを毎日欠かさず記録していらっしゃいます。
これらの本はすべてその記録!w( ▼o▼ )w オオォォ!!
何かの辞書かと思ったら、福家さんの日誌だったとは・・・。 この記録には、●月●日に何があったらから東京市場に出荷しようと思ったなど、行動に至るまでのきっかけや思考回路など全てが記録されています。
「1999年2月8日、 OTAへ出張。◎◎さんとお会いして現物をお見せしたら1ケース送ってと言われ、送ってみた。するとXXフラワーの△△さん、YYYフラワーショップの▲▲さんから “他のものと全然違う!あるだけ全て送って!”と言われ、出荷スタート。」
当時、大阪のマーケットで「子供の成長を祝う桃の節句に、枝の先を切ってあるモモを販売するなんて何事だ!」と返品になったことがあったそうです。もちろんその商品は丸福清花園さんのものではありません。しかし、そのようなことが当たり前に起こることを知っていた福家さんは、1999年2月8日上京した際、東京に流通しているモモの枝先を見て、自分の商品も東京で勝負できると確信しました。
この記録簿は丸福清花園さんの歴史を語ります。
日々の弛まぬ地道な努力の上に築き上げられた真髄の結集です。
「モモの産地は確立するまでに時間かかるでしょ」という義哲さん。
比較的生長が早い草花に比べ、生長が遅く、特殊な技術を必要とする枝物は、一朝一夕に産地を形成できるものではありません。だからこそ、こうして記録を残し、後世に引き継ぐのです。
記録することって、大切なのですね。
風邪ひき×ピチピチピーチ
前回のウンチク探検隊で、モモの花色が紫がかることをブルーイングというと申し上げましたが、丸福清花園さんでは通称「風邪ひき」と呼んでいます。その原因の一つに生産者が出荷までに長い時間抱えてしまい、促成に時間がかかってしまうパターンがあると考えます。
市場ではきれいに見えても、消費者の皆様のお手元に届くときは“発症”して風邪はマックス。
「若い花が欲しい人に対して、おばあちゃんをどうぞと言っているようなもんやで」と福家さんはいいます。
確かにおばあちゃんが欲しい人にはおばあちゃんをお勧めすればいいのですが、モモちゃんの場合は受けたストレスレベルが低くて、若いピチピチピーチがいいのですやはりモモですから。
他産地では普通1週間から2週間促成する一方、丸福清花園さんでのところでは促成期間は2月なら20時間から30時間。
1月でさえもどんなに長くても4日まで。高い技術で短時間で促成し、速やかにピチピチピーチちゃんを出荷するのです。
規格再編
このような経緯を経て、消費者の皆さんに日常楽しめる花として提案していくために、大田花きの担当者とミーティングを重ね、主にサイズと入り数の2点から規格を見直しました。
以前 → 現在
120cm L (100本) → 2L(60本)
100cm M (200本) → L(120本)
80-75cm × (ナシ) → M(100本)
70-60cm MS(400本) → S(500本)
これが丸福清花園の日用の花としての提案型販売です。
日本一小さい面積
都道府県別でいくと香川県は日本一小さい面積になります。
私たちが小学生のころは大阪府と習ったものですが(世代がばれてしまいそうですが)、1988(昭和63)年、国土地理院が面積の算定法を見直した際に岡山県との県境にある井島がどちらに所属するのか不明瞭との判断から、香川県の面積から差し引かれ日本で最も小さい県となりました。
更に大阪府には関西空港ができたことにより面積が埋め立てられ広くなり、香川と溝を開けられ、たとえ井島の面積をプラスにできたとしても、日本一小さい面積というポジションは不動のものとなりました(!)
しかし、香川県は全国でも有数な農産物の生産地。限られた農地をフルに生かして効率の良い栽培を行います。
もちろん丸福清花園さんも例外ではありません。こちらの圃場をご覧ください。
「これモモですか?」(゚o゚ )と突っ込みたくなるような高さだと思いませんか?
株と株との距離およそ150cm。
普通、桃の木は高さ3mくらいになりますが、福家さんのところではこのように低木に仕立てて密植しています。この生産方法は限られた土地の中で少しでも効率良く生産するために考えられた方法です。
このサイズで株を作り上げていくことによって、MSサイズを作りやすくなります。
これぞコンパクトでありながら、高品質のエッセンスをギュッと凝縮させた商品を作る秘技なのです。
もう一つ秘技を教えちゃいましょう!(≧∇≦)
実は、 水田と畑を利用して栽培しています。
皆さん、水田ですよ、スイデン!通常お米を作るところでモモを作っているんですよ!
水田で樹木を栽培しようとすれば、普通は根腐れしてしまいます。香川のこの乾く土地だからこそ必要に応じて溜め池から水を引いてきて、水分量をコントロールすることができるのです。
↑こちらは梅の生産圃場ですが、水田を活用している様子がよくおわかりいただけるかと思います。
【豆知識】
香川のことを「讃岐(さぬき)」といいますが、これは「通り抜ける(=さぬく)」が語源であることを義哲さんが教えてくださいました。昔からこの辺りは瀬戸内海を抜けるには必ず通らなければならない所で、瀬戸内の要所として発達してきました。
小さいながらも大きな機能を果たしてきた場所なのです。
('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)ウンウン
日本の地中海
香川県は瀬戸内海式気候で地中海性気候と似ていると言われます。(なんだか香川ってアジアのナポリみたいだ~!)
似ているといっても日本ですから梅雨があります。しかし梅雨が明けると50-60日間は雨が降らず、更にここ福家さんの周辺は高松市でも内陸にあるので最も雨が少ないところの一つ。
この気候条件がまたモモの栽培には適していて、デリケートな花芽が形成される7-8月に雨が少ないということは、それだけ多くの花芽を付けることができるということなのです。
地中海性気候だけあって、地中海沿岸の特産であるオリーブがここ香川でも特産となっています。県木としてもオリーブが指定されていて、福家さんのところでも切り枝用のオリーブを栽培しています。
こちらのオリーブは超有名な某報道番組のスタジオに装飾された福家さんのオリーブ。
もうこうなったら香川の海が地中海の輝きに見えてきちゃいます。 ←見えますね( ^ー゜)b!
エシカル生産
エコ消費とかエコ活動など今まで社会のキーワードは「エコ」でしたが、ここから時代は流れて現在のキーワード“エシカル”(=ethical,倫理的な)になっています。社会貢献的活動を指す時に使います。
昨今あった伊達直人を名乗るタイガーマスク運動はまさにエシカルブームの一端と言えるでしょう。
丸福清花園さんも日頃からエシカル生産に取り組んでいらっしゃいます。但し、ブームではなく、福家さんに倫理的価値感に基づいてしっかりと定着しているものです。
ポイントは以下の通り。
① 有機リン系の農薬は一切使用しない。
その他の農薬も一切使用しません。モモにつきやすい害虫はヒメシンクイガという小さな虫です。農薬を撒けば一発バイバイですが、農薬は天敵も害虫も全ての虫を一気にやっつけてしまいます。
しかも同じ期間で害虫は5サイクル(5回繁殖期を迎える)に対し、天敵は2サイクルと、害虫の方が繁殖のサイクルが早いので、殺虫のために農薬を使い始めたら農薬ばかり使ってしまうことになるのです。
そこで、福家さんは農薬の使用を一切やめて、春先(シーズン終了後)に石灰などからできた天然の薬剤を株にコーティングします。
以上!
え?「以上」って??それだけ??
そうです。この薬剤はモモの株自体が病気になってしまったり、病虫害に遭うのを防ぐためのもので、もうホントこれだけ。
「虫は自然任せだよ」とさわやかスマイルの耕也さん。
皆さん、普通ありえませんよ、こーゆーのッ!
どうしてこれだけでやっていけるのでしょうか。
② 交信撹乱材(コンフューザー)の使用(していた)
「コンフューザー」とは商品名ですが、ヒメシンクイガのメスと同じフェロモンを出す装置で、これに交信を撹乱されたヒメシンクイガの雄が交尾ができず、産卵させないようにするものです。εε(@_@)33
こちらがそのコンフューザーです。
モモの枝先にこのように付けます。↓ 既にモモの枝は切ってしまっているので、今回は仮に桜の枝に付けていただきました。(う~ん、曇天)
しかしコンフューザーにも弱点があります。
弱点その1◆ コンフューザーはヒメシンクイガをターゲットとしているため、これを使うと、ヒメシンクイガばかりが減って、逆に天敵が増えすぎてしまいます。 天敵はジョロウグモ!
↓こちらの方です。
桃園(ピーチガーデン♪)をヒメシンクイガから守るために活躍してくださいます。
(イメージ写真)
コンフューザーに頼っていた時は、ジョロウグモが増えすぎたために、枝と枝の間には向うが見えなくなるくらいぎっしりとクモの巣が張っていたのだとか。
(イメージ写真)
良く見るとそこにヒメシンクイガの成虫がたくさん引っかかっているのだそうです。
これぞ天然の“ヒメシンクイガホイホイ”ですな。
弱点その2◆ コンフューザーが出す“フェロモンもどき”は空気よりも重いため、下の方に沈殿します。
ヒメシンクイガは枝の上の方を飛ぶので、高い枝に対しては効果を期待しにくいのです。
弱点その3◆ コンフューザー購入のコストがかかります。必然的に単価に反映せざるを得なくなります。
そこで!( ^ー゜)b 圃場での自然の生態系のバランスを整え、今やコンフューザーもほとんど使用しないところまで作り上げました。丸福清花園の圃場では、農薬を使わないので天敵(ジョロウグモ、テントウムシ、ハチ、カマキリなど)が自然に増えます。
そうすると彼らがヒメシンクイガを食べちゃってくれるのです。(*^^)vイェイ!!
「バランスを保ってやることが大事」という耕也社長。
これはまさにモモを生産しながらビオトープを作ってしまったということですね。
これぞまさに桃園のビオトープ なんて素敵な響きでしょう(≧∇≦)
「モモは桃の節句に飾るものだから、小さいお子さんがかわいい頬にモモの花をあてるかもしれないし、誤って口に入れてしまうこともあるかもしれない。 そのようなことを想定しながら、農薬は使わず、堆肥を入れたり草刈りを一生懸命する。
わたしらのモモは桃花酒用の浮かべるモモとしても使ってもらっているから、安心安全の商品なんだ。
劇薬を使わないことで、私たち自身の体を守れる。消費者の安心安全を守る。そして、この栽培方法によって環境を守ることができる。 このようなエシカル生産を心がけているんだよ」
福家さんの観賞用としてだけではなく、桃花酒に浮かべるモモにも使えるといいます。そのくらい安心安全なモモなのです。 これらの生産ノウハウをまとめると、香川県ならではの特徴を生かしたもので、なかなか他県には真似できないものなのです。
ここに福家さんの栽培技術、ふかしの技術が加わると魂が吹き込まれたふっくらと優しいモモが出来上がるのです。
咲いた咲いた ~ふかしの技術 秘密の花桃
~ 桃のお節句が五節句の一つとして制定された江戸時代、旧暦を採用していましたから当時の3月3日は現在の4月中旬ころに当たります。
しかし、現在の3月3日では戸外のモモはとても開花していません。実際に消費者の皆さんがご購入されるのはそれより1-2週間前でしょうから、それまでにかわいらしい花を咲かせようというのはやはり特別な技術が必要となってくるのです。
ここからはオフレコですよ、読者のみ・な・さ・ん♪
って言ってもうてるやないかい!ヾ(・ε・;)オイオイ
でも、ちょっとだけよ~ん^~^!
一般的には、モモを吹かす際は室温25度、湿度80-90%で調整します。しかし、福家さんの場合は、室温はもう少し高い●●度(あ、読めない!)、逆に湿度はもう少し低い●●%(あ、読めない!)前後で調整します。
冬場の外気は乾燥するので、輸送中のショックを控えるためにこうしているのです。保温庫に入れるときも急にこの条件にするのではなく、段階的に設定していきます。
←保温庫内のヒーター
保温庫に入れてからは、2月なら20-30時間以内で促成加減を見極めて出荷します。先にも申し上げましたが、促成に1-2週間かける他産地と比べるとすこぶる短い。
たびたびすみませんが、普通ありえませんよ、こーゆーのッ!
ここにもやはりこだわりがあり、長く入れていると“風邪ひき”を起こしやすくなるので、3日で出荷できるノウハウを獲得したのです。
開花ステージを揃えるのも技術の一つ。誰から教えてもらったわけでもなく、丸福清花園さんで試行錯誤、研究された上で培った独自のノウハウです。この技術を持っているかどうかが、お客様が買って楽しめる花か、それともすぐに散ってしまう花かの分かれ道です。
福家さんの桃園はまさに「秘密の花桃」。マジックをかけられたかのように、最期まできれいに咲き切る福家さんのモモをぜひ一度お試しください。福家さんの試行錯誤はまだまだ続きます。丸福清花園さんはこれからも進化します。
ニセモノ・アケボノ・アラワル!∑(゜◇゜;)
これだけこだわりを持って試行錯誤を重ねて作り上げた福家さんのモモは本物。とりわけ福家さんが栽培している「曙」というのは、福家さんの育種品種です。
従来品と矢口という品種を交配して、選抜に選抜を重ねて誕生しました。 発色が良いばかりではなく、水揚げが良く、ストレスに強いのが特長です。
その名は『枕草子』の冒頭部分から引用しました。
「春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明りて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる。」
(イメージ写真)
まさに春の到来を告げる花にふさわしい名前ですね。これも家庭花として使っていただきたいという気持ちから付けられたものです。
↑こちらが福家さんが出荷されるときに使用する丸福清花園ブランドの箱です。
こちらをご覧ください。
丸福清花園さんはその「曙」の名前で商標登録をいたしました。花桃で「曙」という商品は、その名前そのものが丸福清花園さんによる良い花桃の印、まさに品質保証の証なのです。
曙は商標登録された商品ですから、権者(この場合は福家さん)が許可しない限り、花木などにその名前をつけて販売してはいけないのです。
ところが・・・!こちらは某生産者から出荷された商品。
「花桃 あけぼの」とばっちり書いてあります。
(; ̄Д ̄)なんじゃと?
ひらがなで表記されていたとしても、同類とみなされ違法行為となります。
耕也社長「(ニセモノは)咲きムラがあるでしょ。つぼみが固かったり花が散りそうなまでに咲ききっていたり。しかもこれは風邪まで引いている。ふかす技術が全く未熟な人の商品やわ」
ホント!ご覧ください、この差!左側が福家さんのモモ(ふかす前のものをお借りいたしました)で、右側がニセモノ。よく見ると枝の色艶も花の付き方も全然違いますし、芯(枝の先)もヒメシンクイガに食われ、黒くてボロボロしています。
福家さんのモモは1年生のピチピチピーチですから、右側ほど肌が黒くなることはありません。
また、1本の中で開花ステージに大きな差があることもお分かり頂けると思います。
(こちらはニセモノアケボノ↓)
福家さんのモモはつぼみのステージがきちんと揃っていて、芯(枝先)まで花が付いています。
このように・・・↓
(写真は両方とも福家さんのモモです)
こんなにも品質に大きな差があるのですね。 気軽に農業に取り組むのは良いことだとしながらも、福家さんが心配されるのは他産地から出荷された曙を買って、買ったとたんにすぐ散って、消費者ががっかりしてしまうこと。
「曙に対する信頼もなくなりますし、消費者の花離れが起きてしまう」と危惧します。
福家さん、とりわけ社長の耕也さんはこの件に関しリアクションは起こさないとおっしゃいますが、悪気がなくても福家さんの許可なく花桃を“曙”と名乗って出荷するのは違法となりますので、何卒ご注意ください。
「あけぼの」「アケボノ」「AKEBONO」など、どのような表現をしても同様です。
生産者の皆様、どうぞ宜しくお願い致します。
モットー
「瀬戸内海の太陽をの光を十分に浴びて、力強く育った新鮮な枝物をいち早く届けるのが私たちの仕事です。
つまり植物の生命力を精いっぱい引き出して、“生命の具現化”をすることです。
これが“つくり屋の本質”です。
子供がコップに水道水を入れて飾って十分というのが私どもの目指すところです。」
そういう義哲さんのお言葉には力強さが感じられます。
このようなモットーから丸福清花園さんは前処理剤を使用していません。
それなのに、丸福清花園さんのモモは全て咲き切ります。まるでマジックをかけたかのように。
枝物でありながら、前処理剤も使用せず、コップ一杯の水で咲き切る桃って、普通あり得ませんて、ホント。
讃岐うどんから学ぶもの
初代からの教えは「木を見、木に聞き、木に学ぶ」。
高品質の枝物を栽培し、需要家の皆様に提供することにより花文化の発展に貢献したいという思いから、「現場を離れることなく常に生産に注力すべし」という社是ならぬ、園是です。
ところが昼食でうどん屋さんに行ったとき・・・(そうです、香川の方はほぼ毎日うどんなのです。香川に行って初めてその気持ちを理解し、おいしいうどんに恵まれることの幸福感を共有しましたが、そのお話はまた別の機会に)・・・香川において多くのうどん屋さんはセルフサービスになっていて、極めて効率的に振舞うスタッフの行動や厨房の向こう側できびきびと動く人たちを義哲さんは、じーーーーっ(-.-)と観察しているのです。
そして発した言葉は・・・ 「讃岐うどんのこのサービスのシステムは究極のサービスなんだよ」
さすがアンテナがお高い。
「お客様を満足させるのはどうしたらいいかを追究し、自分たちの作業の無駄を省き、安くておいしいものを素早く提供する。
その中には“茹で置きをしない”などのこだわりもあるんだ」
確かに、香川のうどん屋さんはどこも“安くて、早くて、おいしい!”の三拍子が揃っています。なんとなく通り過ぎそうになったポイントでしたが、福家さんのご指摘で勉強させていただきました。
観察すべきは木のみならず、生活のすべてに及ぶのです。
父から子へ
義哲さんは皇居警察にお勤めでしたが、実は義哲さんのお父上の行雄さんも警察学校の教官でした。それはそれは厳格な方だったとのことです。
福家行雄さん
耕也さん、生まれながらに就農するとされてお名前までそのように付けられましたが、就農を決心される際に心理的な抵抗はありませんでしたか?
「全然ありませんでした。小さい頃に“自分は大きくなったらこういう風になりたいな”と思っていた通りに今なっているよ」
スゲッ!
すごいですな。自己実現です。
義哲さんは「息子が“学校卒業したら、農業継ぐけんなぁ・・・”と言ってくれたときは涙が出るほど嬉しかったよ」と振り返ります。
義哲さんの奥様は生け花とお茶の師範代、若奥様はNFD1級のお免状をお持ちで、お花屋さんご出身。
内需の功、いや、それ以上の戦力となっていて、彼女たちのお陰で利用者目線で品質管理や総合チェックができる仕組み作りができているのです。
出荷作業においては実際に女性の鋭いセンスと仕事の緻密さを必要としていて、現場では女性が活躍しています。
耕也さん「まだ私で3代目。枝物の産地は出来上がるまでに時間がかかるでしょ。3代目なんてまだまだ若い方です。
5代6代目くらいにならないとね。そのころにはお客様から絶大な信頼を得られる産地になっていたいですね。 “丸福清花園なら絶対安心!”てね」
将来脈々と受け継がれるであろう香川の枝物産地を築いく一世代としての責任を全うします。
「東京に3代住んだら“江戸っ子”といえる」と言いますが、枝物3代はまだまだだなんて、厳しい世界ですね。
丸福清花園に流れる哲学
農業を始めるときに、義哲さんは先輩に「お前、貧乏するぞ」と言われたといいます。でも義哲さんは次のように思いました。
「貧乏結構、たとえ貧乏になっても俺はやる!農業で儲けようなんて思ったらあかん。
農業は人々の生活の原点やから、それをやろうってことは自分は貧乏でも、社会にきちんとしたものを供給するということや。
例えば人の役に立って、お金をいただいたとしても自分はミニマムの生活をする。
さもないと大競争時代には戦っていけない」
そして、故行雄社長には次のようなことを耳ダコができるほど言われたことだそうです。
「質素で慎ましい生活態度で他人の倍働きなさい。それが良いものをより安く提供するということです。
それがものづくりたる農業の本質である。これを守ってこそ大競争時代に生き残っていける。世の中の基本を支えるのは農業なのだから」
他産地がどうこうよりも、自分の人生をかけて農業をやっているわけですから、この思いをお客様に伝えるまで。今は農業をやっていて良かったと思うと義哲さんは言います。
人の倍働き、慎ましい態度でミニマムの生活を送るとは、つまり清貧の思想というか、“足るを知る”ということでしょうか。これぞ福家さんのフィロソフィーです。
丸福清花園の格言
・ 瀬戸内海はアジアの地中海ィ~☆
瀬戸内式気候(温暖でドライな気候)を生かして、高品質を生み出すべし。
・ 地域の特性を生かし、日常用のコンパクトな枝ものはコンパクトな土地で効率良く栽培すべし。
香川の面積を侮ることなかれ!
・ 消費者の皆さんに日々の生活として楽しんで頂ける枝ものを志すべし。
目指すは枝物の脱生け花。
・ 農業は自分を守りつつ、延いては消費者を守り、環境を守るべし。
圃場では自然の生態系を作りエシカル生産を実現すべし!
・ フィロソフィーを持ち、貫徹すべし!
・ 現場を離れるべからず。
「木を見、木に聞き、木に学ぶ」作ることにエネルギーを注入せよ!
福家義哲さんご夫妻と福家耕也さんご夫妻
消費者の皆様へひとこと
・ 日本の地中海でできたモモを最期まで楽しんでください。
・ 咲きムラのないもの、枝肌が若くてきれいなもの、風邪ひきを起こしていないピチピチピーチを選んでください。
・ 丸福清花園さんはモモだけではなく、ほかの枝物も出荷しています。
しかし、より専門性を高めるために、その時期その時期にひとつの出荷品目に特化しています。
花桃の次は啓翁桜です。夏になればオリーブ、七夕金明笹、秋には実付きオリーブなどが出荷されます。
花桃だけではなく、是非福家さんの種々の枝物を使ってみてくださいませ。
<写真・文責:ikuko naito@hanaken>
2011年2月11日
vol.81 吉忠(よしちゅう) 神奈川県川崎市
“灯りをつけましょ ぼんぼりにぃ~
お花をあげましょ 桃の花ぁ~♪
五人囃子の笛太鼓ぉ~
今日は楽しいひな祭りぃ“
ホント、日本には良い童謡がたくさんありますね!
そう、もうすぐひな祭りです!
ひな祭りの発祥についてご存知ですか?
発祥は古代中国で、3月に行われていた“身の穢れを清める行事”に由来します。この行事を3月最初の巳(み)の日に行うことから「上巳節(じょうしせつ)」と呼び、日本へは平安時代に入ってきました。
ですから今でもひな祭りのことを「上巳(じょうし)の節句」とも言います。
どうしてこれが“桃の節句”と呼ばれるようになったか。
現在ではひな祭りといえばひな人形を飾り、白酒、菱餅、ハマグリのお吸い物などで祝うのが一般的ですが、その発祥の頃には、川上から盃を流し、自分の席に流れ着くまでに歌を詠む「曲水の宴」が催されていました。その際にモモの花を添えて白酒を飲んだことから桃の節句と呼ばれるようになりました。
平安時代に日本に伝播後、室町時代には貴族の女児たちの人形遊びである「ひない祭り」と一緒になり、ひな祭りの原型ができました。中国ではモモがその花の明るさから冬の暗さを追い払ってくれる神聖な木とされてきたこともまた、女児の成長を祝う行事に使われている所以です。
やがて安土・桃山時代には貴族から武家社会に伝わり、江戸時代になると庶民の間にも広まっていきました。時代とともに「お祓い」の意味は薄れましたが、江戸時代に五節句の一つとして制度化されました。ひな壇のほかにモモの花を飾るなど、現在のひな祭りに近い形になったのも江戸時代です。
【まめ知識】
① ひな人形を片付け遅れるとお嫁に行き遅れると言われる理由
ひな祭りにひな人形を飾りつけるご家庭も多いことでしょう。しかし、そのひな飾りも3月3日を過ぎたら速やかに片づけないと「お嫁に行き遅れる」とよく言われます。
それはもともとひな祭りの原型がお祓いの意味を持っていたように、ひな人形に自分の身代りとして身の汚れを託し、川や海に流していた風習に由来します。昔は藁や紙でできた人形だったので惜しまず川に流すことができましたが、ひな人形が豪華になるにつれ川に流すわけにはいかなくなり、代わりにすぐ片付けることによって厄を流すとみなしたのです。お節句が終わってもひな人形をそのままにしておくということは、つまり厄を落とさずに放置しているということになり、「お嫁に行き遅れる」と言われるようになったのです。
② ひな祭りに飾る菱餅の色は何でしょうか?
正解はピンク、白、緑の3色!
ではこの3色が意味するものをご存知でしょうか。
それは白が象徴する雪が溶けて、大地から草(緑)が生え、桃の花(ピンク)が咲く事象を表現したものなのです。
この色の組み合わせはまさに春の象徴そのもの!直線的な菱餅の中に、温かく柔らかい春到来のストーリーが流れていたのですね~。
また、ピンクは「魔除け」、白は「清浄」「清純」、緑は「邪気祓い」、菱形は心臓を表現し、女児の健やかな成長を祈るという意味もあるようです。
なんとも奥が深いではありませんか。
今回のウンチク探検隊も奥深さでは負けていませんよ!
はい、もうお分かりですね。(だいぶ前置きが長くなってスミマセン^_^;)
今回はひな祭りを象徴する花であるモモの生産ウンチクについてお伝えいたします。
皆さん、不思議に思ったことはありませんか??
旧暦の3月3日は現在の4月中旬ころにあたります。現在の4月中旬ころはモモは満開ですが、3月3日では戸外のモモはとても開花しません。
ではどうしていたのか。
明治時代、新暦に改められた当初は梅の花を代用したり、遠く南国からモモの花を運んだりしたようですが、関東の花農家さんたちは色々と工夫を凝らし、地面に穴を掘って室(むろ)を作り、ここで麦糠(ムギヌカ)などを発酵させ加温し、小さなつぼみの付いたモモの花を枝を入れ、早く咲かせたのです。
この方法は大正時代に全国に普及し、現在はこれを元に改良された加温方法で花を咲かせて出荷します。
う~ん、たった“触り”を聞いただけでもモモの生産ウンチク、なんだか面白そうです!
モモの生産といえば、関東では何と言っても川崎市馬絹(まぎぬ)の吉忠(ヨシチュー)さんをおいては語れません。大田市場から車で1時間足らずのところに位置しています。
お伺いしてみると、何と意外にも閑静な住宅街。
「馬絹」といえば東京市場の枝物の大産地でしたが、今では便利な立地に伴う宅地化の波により、実際の圃場は郊外に移転している産地さんも多いのです。圃場は郊外、作業場は馬絹というパターンが多いようです。
こちらは吉忠4代目の吉田恵一さん。早速今でも馬絹にあるモモの畑に連れて行っていただきました。
・・・が、やっぱり花は咲いていない(-.-)
もう桃の節句まで1カ月もないというのに。
咲きそうなつぼみすらない。まだまだ固い。
恵一さん、こんなにカチンコチンなつぼみで、ひな祭りまでに間に合うのですか??((б_б;)ドキドキ)
どうやって間に合わせて出荷しているのですか?
「ふかすんだよ」
ふかす?
「そう。室(むろ)でふかすんだ。そしてつぼみを大きくして出荷するんだよ」
「ふかす」とは、切ったモモの枝を温かい室に入れてつぼみを大きくして、出火前に開花調整をすることです。早速その室を見せていただきました。
「こっちの室は今使っていないんだけどね、昔の室だよ。入ってみる?」
とおもむろにふたを開け始めたのは、出荷場の地下室(ちかむろ)。
ギョギョッ∑(゜◇゜;) !!!
ヘビとか出てきませんか?
「ヘビはいないよ」と笑いながら一蹴する恵一さん。
せっかく重いふたを開けてご案内いただこうというのに、これは失礼いたしました。
この下にはどのような世界が広がっているのか。なんだか川口浩探検隊(古すぎる?)に参戦しているかのような恐怖心と好奇心にかられます。
1段1段が意外と高い。
一歩一歩、恐る恐る地下へ歩みを進めます。一段下るたびに気温と湿度が上がっていくのを肌で感じます。
先に下りた恵一さんが室を明るく照らしていてくださいます。
この先にはどんな世界が・・・?
「こっちだよ」
ピカーン!
な、な、なんとこれが噂の室ですか。なんとも秘密の基地的。
気温は・・・16度ですか。(取材日にはこの室は使っていませんでした)
外気温が10度にも達しないこの時期は、とても温かく感じます。
明治の新暦への切り替えをきっかけに作ったものです。生産者によっては防空壕を使ったりすることもあるようです。
このように地下にある室のことをそのまま地下室(ちかむろ)といい、一方地上にある室のことを岡室(おかむろ)といいます。吉忠さんは今は岡室をメインに使いますが、繁忙期もピークを迎え、岡室だけでは商品が入りきらなくなると、今でも地下室を使うこともあるのだそうです。
岡室はこちら。
岡室の扉↓
こちらの室で、気温は25度。
ホント、室の中でふかせたものは、つぼみが赤く色付いてきています。
それにしても真冬の寒い中、昔の人は麦糠だけで本当に25度にも保っていることができるのでしょうか。
「できるよ。麦糠(むぎぬか)を発酵させるんだ」
とご説明くださったのは、一代遡って吉忠3代目の吉田義一(よしかず)さん。
おっと、ここで日本の枝物界の重鎮登場です!
(業界の方程式 吉田義一さん=泣く子も黙る枝物の革命児。でもご本人はいつもニコニコ)
麦糠ですか・・・あまり聞き慣れませんが、米糠ではなく麦糠をご利用になる理由というのはあるのでしょうか。
「米糠はガスが発生しやすいんだよ。エチレンガスとかね。そうするとどうしてもブルーイングといって、モモの色が変わってきてしまう。ピンクではなく紫色っぽくなってしまうんだ。こうなるともう花も咲かない。
北風が吹く寒い時には室がちょうどいいんだけどね、南陽系の暖かい日には室ではどうしてもガスが発生しやすくなってしまうんだ。だから気温が上がりそうだなって思ったら、ちょくちょく室を見に行って、ふたを外して空気を入れ替える作業があるんだよ。外にいてもわざわざ戻って来て空気の入れ替え作業をするんだ。それは大変な作業だよ」
なるほど、陽気に気を使って、室内のコンディション調整に頭を使って、そして室に駆けつけるときは足を使う。
これは大変です。
「この発生するガスがなかなか油断ならないんだ。
昔はイモでも何でも収穫物を室に入れていたでしょ。だから、家の人が室に芋を取りに行って、ガスが発生しているのに気付かずガスを吸って倒れて亡くなっちゃったりすることがあるんだよね。今でもこの近所でもたまに発生する事故だよ。ガスが発生するとそのくらい有害なんだ。麦糠はそこまでじゃないけどね。だから危なそうな時は飛んで行ってすぐに空気の入れ替えをする。モモの出来の良し悪しは、いかに自分で陽気の変化に気づいて、室内(むろない)にきれいな酸素を取り入れるかにかかっているんだ。室の中のコンディションも大きく影響するんだよ。
麦糠を使った調整って大変でしょ(笑)。だから室内(むろない)の温度調整も、私の世代から電気ヒーターを導入したんだ。
それでも生きているものだから酸素が足りなくなってくる。だから今でもきちんと空気の入れ替えはするんだ。
やっぱり(モモは)生きているよぉ」
心で植物の生命を感じて、植物の良いコンディションをできるだけ整えるようにする。義一さんのお話を伺っていると、なんだか植物の声を聞ける人のようです。このような方のことを匠というのでしょう。
匠といえば、枝物こそ匠の技が光るもの。
枝の生産にはどのような技が隠れているのでしょうか。
「生産というより枝折り(しおり)の技術だよね」
シ、シオリ(゚o゚ )( ゚o゚)??
「そうそう、“枝が折れる”と書いて、枝折り(しおり)」
エダオリではありません。シオリです。シ・オ・リ。
ポキッといくわけではありませんので、くれぐれも。
「昔は“紙織る”って書いて“しおる”って言っていたんじゃないかな。
“枝折る”とは広がっている枝を折れないように柔らかく曲げて、コンパクトにまとめ上げるという技術のことなんだけど、枝を束ねるときに紐などで縛らずに、い草をよじるだけで止めるんだ。紙を“こよる”みたいにね」
枝折るのは、放射状に広がる商品の品質保護と運搬効率向上のためです。
「こうやって枝折ったものを昔は“い草”でこよって結わいていたんだよ」
い草ですか?あの畳のイグサ?
「そうそう。これを見てごらん。これがそのい草だよ。
これを使う前にお湯に浸して柔らかくしてから結わくんだ。そうすると乾いたときにしっかりと止まって外れない」
なるほど、それはしっかりと結わえそうですね~。
それにしてもどうしてい草なのですか。しかも熊本から取り寄せていらっしゃるのだとか?
「昔は“クゴ”を使っていたんだよ」
“クゴ”って何ですか??聞いたことありませんが。
(勉強不足ですみません^_^;)
「“クゴ”って草の名前。吉忠初代の吉田仲右衛門(ちゅうえもん)さんのときはクゴを使っていたんだ。海近辺の河口岸とかに生えている草でね、引き潮のときは淡水に浸されて、満ち潮のときは海水に浸されるんだ。これがちょうど九十九里浜辺りにあってね。採ってきて乾かして、使うときに濡らして使っていたんだよ。当時はこれが丈夫だとされていたんだ。この辺りの馬絹の生産者だけが使っていたんじゃないかな。
それが今は九十九里の川がきれいに整備されて、クゴが採れなくなっちゃったんだよ。
そこで私が考えたのがい草なんだ。
私が30代の頃だったかな。クゴが足りなくなったときに畳屋さんに畳の切れっ端をもらってやったら、ちょうど良かったんだよね。それで新しいものをもらって使ってみたら、編んでいないものの方がいいってことがわかってね。藁もやってみたけど、意外と使いにくかったんだよ。今でもワラを使っているところもあるよ。だけど、い草がいいと思って熊本から取り寄せたら、なんとクゴより安かったんだよ。
い草だからさ~、高いものだと思うじゃない。でも畳を作るときに出る副産物だから、安く出してくれてね・・・」
室の加温を麦糠から電気ヒーターに替えたことや、枝折るときにい草を使うことなど、現代の枝生産のノウハウも義一先生(!)が馬絹で確立しました。い草に目を付けるなんて、なんだか感覚にとても優れているんですね。センスがいいというか、目の付けどころが違うというか。
「枝折るときにはこのい草を湿らせて使うんだ。そうすると乾いたときにパリパリになってほどけない。
結ばなくてもキュッと止まるんだよ。枝にも負担が少なく、無理をかけないんだ。そして何より丈夫だね。全然切れない。
これを見てごらん↑。結んでいるように見えるけど、結んでいなくて、ねじって留めているだけなんだ」
ほんとだ。強く広がろうとする枝を撒きあげているのに、結ばずしてしっかりと留まっているではありませんか∑(゜◇゜;)
引き継いだものをそのまま守って継承していこうというより、変えていこう、改善していこう姿勢を強くお持ちの義一さん。
“これはどうしてこんなやり方しているのか?こっちのやり方でやってみたらいいのではないか?”というように疑問を持って、“なぜ?”を繰り返し、新しいものをトライして検証を重ねる。いつも良くしよう、少しでも経費がかからない方法でやってみようと試行錯誤をしつつ、ここ馬絹で枝物の生産体系を確立したのです。
それでいて、義一先生は全然偉ぶったところがないんですね。(いつもニコニコ、本当に良いお顔をしていらっしゃいます)
で、こうやって枝折ったものを以前はコモで巻いて出荷していました。このコモとは米俵の上に撒くもと同じものです。厚くて大きく見えるからと今でも使っている方はいらっしゃるそうですが、持てばお客様の服も汚れるし、逆に厚くて実際のボリュームを大げさに見せてしまうという心配があるので、お客様にとってはどうかなという部分もあるのです。
「ワラはセーターに付くと取るのが面倒でしょ。それに今となってはビニールの方が見た目もきれいだし、プチプチ(緩衝材)を使えばその分保温効果もあるしね。汚れないし、ちょうどいいよ」
見た目といえば、その「枝折る技術」も見た目が重要なのだとか聞いたことがありますが・・・。
「そうそう。この枝折りの技術の如何で市場での価格も変わるものなんだよ。そりゃあうまければ見た目もいいから、値段も上がる。」
どうやるのですか。
「まず1枝折りを作るでしょ。
1枝折りはこのくらい・・・“このくらい”を感覚で覚えるのも修行のうちだね!」
「だいたい3-5本の枝で1枝折りを作るんだ。こうやってね」
そして花の向きを片面に合わせながら1枝折り作り、それを4つまとめたものが1束で、これを表に向ける。
4枝折り × 3 = 1束(12枝折り)
横から見るとこうなっています。
次に1束の裏にもう1束合わせて、表裏どちらから見ても花が付いている状態にします。これを半丸といいます。
1束 × 表裏 = 半丸(24枝折り)
↑半丸を横から見た状態
そして、この半丸にもう半丸を付けて、表裏をなくし1丸(ひとまる)をつくります。“丸”はバケツの丸からきているようです。
半丸 × 表裏 = 1丸(48枝折り)
「吉忠さんの丸は芸術!」と絶賛されるほど華麗に仕上がるそうです。逆にそれほど熟練した技術が必要なものということにもなります。
またこれをセリ場で持ち上げて(持ち上げるのも大変な代物なのです!)買参人の皆さんにお見せするとそれはそれは美しいものだったのだとか(大田花き社員談)。
今では一度に大量のモモをご購入される方の少なくなり、1丸も量を必要としない買参人さんが殆どで、セリにかかるときは大きくても30枝折り程度です。
なるほど、この枝折る技術、束ねる技術に吉忠さんのノウハウが凝縮しているのですね。
「そうそう、モモがきれいに見えるも見えないも、この腕次第。昔はよく品評会でこの良し悪しを競ったものだったよ。
本当に手が疲れるけどね。枝折っている間はずっと手で握って抑えているわけだから」
この技術を習得して一人前になるまで、どのくらいかかるのでしょうか。
「そうだねー、この技術は研修で丸2年、地元に帰って3年の合計5年くらいかかるかな~。
腕が良ければやっぱり早くてきれいな仕事ができるからね。技術の習得が肝要だね」
義一さんはやはり習得が早かったのでしょうか。
「そうね、割と手先は器用だったな。自分で言うのも何だけど(笑)」
手を拝見してもよろしいでしょうか。
わぁー、職人さんの手をしていらっしゃいますね。
「いやぁ、もう今は全然きれいだよ。今は枝折る機械を入れたんだ。昔みたいに1丸もの大きいものは作らないし、い草も使わないし、便利になったよね。
でも昔は親指の内側から人差し指の側面にかけて割れるほど荒れていたよ。痛いし、カイジュウの手みたいに腫れてね・・・」
アタタタタッ(>_<。)イタイ!
そうだったんですね。義一さんの手を思えば、機械で枝折れるようになってよかったですね。
今でももちろん、注文があれば義一さんが腕を奮って枝折ります。
義一さんがモモをやろうと思ったのは20歳くらいの頃。
御祖父様にあたる初代吉忠の仲右衛門さん(当時60歳+くらい)を見習って始めました。
「“上手に作れるようになったな”と褒めれた時にはそれはそれは嬉しかったね~」(*´ー`喜)
そうですよね。全国の名を馳せる枝物産地のゴッドファーザーに褒められたわけですから。
そのゴッドファーザーは当時37人のお弟子さんを持っていらしたそうです。“ちょっと教わりに来ました”的な人を含めると、もう人数は分からないほどだそうです┌|◎o◎|┘スゴイ!
そんな御祖父様の背中を見つつ「おじいさんが頑張って作り上げたものを無くしてはいけない!」と決心されたのがちょうど20歳くらいで、枝物生産を始めたきっかけだそうです。
「当時は苦しい思いをして寝ずに働いたよ」
と回顧する義一さん。
そんな時代があったからこそ、今の義一さんがあるのでしょうね。
【吉忠さんが成し遂げたこと】
① 供給が難しくなっていたクゴの代わりにい草を利用し始め、継続可能な素材を利用し枝折りの技術を伝承している。
② 麦糠を電気ヒーターに替え、室内のガス発生を抑え、品質向上。仕事も効率アップ!
③ 初代仲右衛門さんや二代目一男さんから引き継ぎ、枝折る技術を確立。多くのお弟子さんに伝授し、日本に枝折る技術を普及させた。
業界を進化に導いた革命児と言えるでしょう。
「でもね、全てが順風満帆であったわけではなく、昔はずいぶんいじめられたこともあったよ。
某市場に持っていくと、偉そうにしているお兄ちゃんが受け取りもしないで“そこに置くんじゃない!“と言ってきたり。体が小さかったからその分一生懸命やってやろうと思ったね」
山椒は小粒でピリリと辛い^~^!!といったところでしょうか。
「ウン探さんさぁ、知ってる?」
ん??何、ナニ?何をですか??(゚o゚ )( ゚o゚)
「モモの花は糖分が好きなんだよ」
へ~、そうなんですか。
甘くて栄養のあるものが好きなんですね。なんだか誰かの好み似ている・・・?
「モモの花が本来ピンクであるところ、紫色になってしまっていたりするのを見かけると思うんだけど、この現象がブルーイングで、栄養不足だったりするとこうなってしまったりするんだ」
ブルーイング現象を引き起こすと、つぼみも開かなかったり、花もすぐ終わってしまったりします。吉忠さんでは、このブルーイングを避けるために、出荷するモモは全量栄養剤を入れた水で水揚げをします。花き業界ではこのことを「前処理」といいます。
「もちろん出荷物は100%前処理を施すけど、お店やご家庭でも栄養をやってほしいね。市販の栄養剤を使うか、もしくは砂糖を入れてもいいかも。
栄養をやると今度は水中にバクテリアが発生して、水が腐りやすくなるから、一緒に殺菌剤を入れるといいよ。例えば水1リットルに台所漂白剤1滴+砂糖大さじ2-3杯とか。
でも栄養剤として売られている市販のものが一番いいよ。バランス良く配合されているしね」
はい、皆さん!( ^ー゜)b
モモを活ける時にくれぐれもただの水に入れないでくださいね。
吉忠さんからのこれらのメッセージは、生産したご自分だけが満足するのではなく、あくまでも消費者の皆さんに一番満足してもらうためのものです。ですから、皆さんも少しでも長い間きれいなモモをお楽しみいただくために是非栄養剤をご利用ください。忠実にやってみると、モモも長持ちします。
これホント(゚ー゚)(。_。)ウンウン!
せっかくですから枝折りの技術だけでなく、モモの生産についても教えていただきたいのですが・・・と恵一さんにお願いしてご説明いただきました。
吉忠さんのところでは、1株のモモの木から2年に一度、花を切ります。
これが今年切ったもの。丸坊主!
↓すると1年後の翌年にはここまで生長しますが、まだ切らずに我慢する。花が咲いても採花しない。
枝の色が若干明るく、若いことがわかります。
また、1年でここまで大きくなることに驚かされます。
↓そして2年目に強くて立派な枝まで生長するので、ここで出荷用の花を切る。
このナタで、ザクザクッと枝を切り落としていきます。
↓丸坊主のモモの木になる。
というサイクルを繰り返します。
切り落とされた枝はぐるりと巻かれて出荷場まで持って帰り、適切な大きさに束ねられ、先ほどの機械で束ねられて出荷されるわけです。
では、花芽をたくさん付けるために何か特別なことをされたりするのでしょうか。
恵一さん「特にないよ。枝に傷を付けて花芽を増やすという技術もあるみたいだけどね。」
どうして枝を傷つけると花芽が増えるのですか?
「傷つけられると、モモが
“あ!僕死ぬぅ~!”(;≧皿≦)。゜°。ううううぅぅぅ
と生命存続の危機を感じて、“ならばたくさん子孫を残さなければ!”とその分たくさん花を咲かせるんだよ。
でも、基本的には花芽の数は茎の太さで決まってくるからね。茎の太さは水を吸い上げる量に比例するでしょ。たくさん花芽を付けようと思って意図的に何かをしても、水を補給しきれないんだよ。つまりブルーイングになってしまうか、花保ちが悪くなってしまうか・・・。
花数が少ない方が大きくて力強い花が咲くけど、みんなは花がたくさん付いているほうがいいでしょ。だから自然のままがいいんだよ。枝に無理に負担をかける必要はない。それよりも枯れた茎をこまめに剪定してあげることの方が大切。そうすれば風通しも良くなって、病気も防げる。モモは縮葉病(シュクヨウビョウ;葉が縮れて落ちてしまう)などがウメやモモに多い病気なんだ」
なるほど~。フカイッ!
無理な負荷をかけずにモモが持つ自然の力を最大限に引き延ばすのですね。
あれ?ところで1年目の枝は切らないでそのままとっておくっておっしゃっていましたね。
となると、このモモの木にも桃の実がなるのでしょうか?
「小さな実が成るよ。落ちるくらい熟すととても甘くていい香りがするよ」
(よもや(-.-)、前々回のウン探のハボタン同様、恵一さんもモモの実を食べたことがあるのか・・・?)
「食べたことはないんだけどね」
あ、そうでしたか^_^; よかった。
実が小さいので可食部が少ないそうです。品種はあくまでも観賞用なので、モモの実の方は価値がは低いようです。
恵一さんは枝折りの技術も伝承しつつ、枝物に固執することなく時代のニーズに合わせ、他の草花も生産をされている頼もしい後継ぎさんです。
こちらの写真は義一さんが恵一さんに枝折りを伝授しているところの写真です。
三代目から四代目へ技術継承の瞬間です。お二人の笑顔が理想の親子像を物語っています。
そして更に遡って、こちらが吉忠2代目こと吉田一男さん92歳。お話をさせていただいたところ、お言葉もはっきりしていらして、とぉってもお元気です!
最後になんとこちらが初代吉忠こと吉田仲右衛門(ちゅうえもん)さんです。略して“吉忠”のお名前が生まれました。
じゃじゃ~ん!↓↓↓
何とまあ凛々しいお顔立ちをしていらっしゃる。
これらの写真は義一さんが見せてくださいました。
番外編になりますが、義一さんのご自宅はどこかの高級料亭かと思うくらい、大きくて立派で、室内もきれいです!
義一さん御自慢の南天やら松や梅などで床の間が飾られています。これらも昨年の12月28日に飾ったものがまだ元気に咲いているのだとか。早1か月半くらい咲いている計算になりますか・・・。
義一さんの前では「花が持たない」というのは花を飾らない理由になりませんね。ははぁ、参りました。
お部屋の中は賞状やらトロフィーやらでいっぱい!
よく見てみると、森嘉郎とか小泉純一郎とか、どこかで聞いたことのある方のお名前が賞状に入っているではありませんか。
(上の賞状に森元首相、下に小泉元首相のお名前が入っています)
所狭しと飾られた賞状の中の1枚は「農業技術の匠」の証でした。
農林水産大臣から与えられるものですが、平成20年に神奈川県で初めて授与されたのが何を隠そう義一さんで、『ハナモモ等「枝折物」の調整・出荷技術』において“生産性の向上など導入効果が認められる農業技術を開発や改良され~(中略)~地域活性化に貢献することが期待できるものである」として、農業技術の匠であることを証されています。
そして、授与は当時農林水産大臣であった石破さんから。
す・ゴ・い♪ こりゃホンモノだ。
「こういうの(これまでに受け取った数々の賞状)はね、たくさん頂いたし、偉い人の名前も入っているけど、その偉い人も任期6か月とかだったりする場合もあるでしょ。
それよりこれ見てよ、これ、コレ!私にとってはこれが一番だよ(笑)」
といって指差したのはなんと株式会社大田花き代表執行役社長磯村の名が入った「感謝状」。
平成23年1月との日付です。ついこの前!
「あちこちから賞状は頂くけど、市場からの感謝状ってあまりないでしょ。わたしにとってはこれが一番大切だし有難いね」
そのようにおっしゃっていただけて何よりでございますm(_ _)m ありがとうございます。
ところで、ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか。モモをはじめとする植物は義一さんにとって何を意味しますか?
「人生の喜びだね!
良くできたときの喜びったらないよ。すごく嬉しいよ。それは市場での値段とは関係なく。
でもやっぱり値段が出ないとがっくりするけど(笑)。“値段は後から付いてくるもの”って生産仲間には言うんだけどね。
良いものを作りたいけど、気候やタイミングでうまくいかない。一生かかっても一人前にはなれないのが生産者。同じことをしていても、毎年毎年結果は異なる。
慣れていても毎年頭を悩まさないと、うまくいかないんだよね。“一生勉強”だよ。世の中は変わっていくから大変」
この辺りの言葉に「吉忠ブランド」を作り上げたヒントが隠されていそうですね。
常に探究心を忘れることなく生き物である植物を手掛けつつ、自分ではコントロールしえない天候や相場と対峙する難しさ。「吉忠」の飽くなき追究があるのです。
義一さん、生まれ変わったら何をしたいと思いますか?
「そうだね、生まれ変わってもまた花の生産をするだろうね。食べるための糧として花の生産をしていても、実は花が好きじゃない人もいるよね。
でも私は盆栽でも植木でも植物を見ると欲しくなってつい買っちゃったりするんだ。結局植物が好きなんだよ」
ここまでおっしゃった義一さんですが、なんと最後にどんでん返し(!)が。
花やら盆栽やらあらゆる植物をこよなく愛していらっしゃる義一さんですが、花関係の賞状と一緒に並ぶトロフィーたち。何のトロフィーだと思いますか。なんでも植物より好きなものなのだそうで・・・。
何と答えは↓・・・
「闘犬!!」
(ワンワン!)
とッ、闘犬??
「そうそう、闘犬。16歳のころから好きだから、植物よりキャリアが長いんだ。もう50年だね(笑)。」
ははぁ~、そのようなご趣味をお持ちだったのですね。犬と植物との共通点は何かありますか?
「何もないよ」(^-^)(サバサバッ!)
う~ん、そうですか。それにしてもどうして闘犬なのでしょう??
「そうだねー、普通の犬の(見た目の)品評会はお金持ちとか権力のある人が勝つってことがよくあるでしょ。お金があればよく訓練することもできるし、審査員に知り合いとかがいれば、口利きで審査が有利になることもある。
でも闘犬は大臣も政治家もお金持ちも、例え16歳の子どもでも土俵の上で勝負するには全く公平で正直な結果になるよね。嘘やごまかしはきかん。八百長なし!」
あ、そうですね、八百長、某業界では今問題になっていますが・・・。
「犬は“誰かに義理があるから負けてやってくれ”っていっても負けてくれないでしょ。面倒さえ見てやれば主人のために一生懸命頑張ってくれるんだよ。愛情を持って世話をすれば飼い主に貢献してくれるんだよね。
そういう意味では花と同じなんだね。私はそういう正直なものが好きなのかもしれない」
このようなところに義一さんの人となりが表れていますね。
そして出していただきました優勝旗!お手数をおかけしてすみません(゚ー゚;Aアセアセ
本年の1月23日に行われた大会で優勝されたそうです。ホントつい先日のこと。
じゃじゃん!
持ち回りの優勝旗です。あ!ありました。吉田義一さんのお名前!
一番前に出して、写真を撮らせてくださいッ!
パシャ!
「名前だったら他にもあるんじゃないかな。前にも優勝したことあるから。」
え?ホントですか?ではそれも合わせて2枚で写真を撮らせて下さいッ!
パシャ!
あれ??義一さん、ほかにも吉田さんのお名前がありますよ。出てくる、出てくる。
「あ、ホントだ」
って、え?忘れる??忘れてしまうくらい優勝が当たり前になっているのですか?強いですねー!!
もうこの際、全部まとめて撮らせてもらってしまえぃ!
パシャ!
極める人は何でも極めてしまうのでしょう。
【吉忠さんの格言】
・ モモの枝折り(しおり)の技術は芸術。国も認めた匠の技也!
・ モモ(植物)は生きている。呼吸して生長するものなり。
コンディションを細かく観察し、環境作りに心を配るべし。
・ 教えてもらったことをれたことをそのまま実践することなかれ。
常に疑問符を打ち、更に良い方法を編み出すべし!是、進化への道也。
・ 出荷物には100%前処理を施すべし!モモちゃんは糖分が大好き
・ 植物は正直者。手間と愛情をかけただけ良いものが出来上がる。
時間を使い、生育環境に気を遣い、頭を使い、手を使い、足を使い、愛情を注ぐべし!
【消費者の皆様、およびお花屋さんへひとこと】
・ くどいようですが、モモは糖分が好き
採花後は、出荷前もお店でもご家庭でも、糖分の入った水で栄養補給してくださいな。
・ モモは糖分が好きで、寒さが苦手。冷気や風に当てないようにしてくださいませ。エアコンもNGでございます。
【良いモモの選び方】
・ 枝折りになっているものについては、下よりも上の方が膨らんでいるもの。
・ ツボミが緩んで、きれいに色付いているもの。ここまで咲いていれば完全に咲きます。
但し、ブルーイングに侵されているものは選ぶべからず。
・ 黒い枝より飴色の奇麗な枝を選ぶべし。そして枝の肌もきれいなもの♪
それが枝が若くて元気な証拠です。
<写真・文責:ikuko naito@花研>