天理市にて


昨日、用事があって奈良の天理市に行った。
天理市はまさに天理教の街であり、宗教が息づいていて楽しい想いがした。我々は街に出ると快適さやら贅沢やらを刺激され、何か精神的な安らぎよりも欲望に翻弄され、決して満足することを知らない人間に育て上げられている。
明治時代、福沢諭吉は文明を3つに分け、当時の日本人に解いた。1つは機械文明、2つめにいろいろな制度や仕組みあるいはシステム、3つめは精神についてである。
近代文明はよく言われるようにプロテスタンティズムと科学のうえに成り立つ。近代を象徴する人を敢えて一人挙げるとすれば、ベンジャミン・フランクリンだろうと言われている。フランクリンは、我々に時の大切さと正直さ、そして自助自立を解き実践した、科学者であり、文筆家であり、アメリカの大統領であった人である。この3つの教えは何と天理教の大切にしている教えと言葉は違うがほとんど同じである。精神が時代を作り上げ、制度を巧く運営させ、機械を使う。この事を昨日深く噛み締めた。
私達の花の仕事はわがままであることを悪しとしない現代にあって、人間本来の持っているこの良き性を思い起こさせる所にある。園芸療法も含め、私達が花のある生活を折りに触れ一般の消費者に訴えかけねばと思う今日この頃である。


1997/07/28 磯村信夫