お盆


 先々週のことになるが、観世鐵之丞氏が亡くなった。亡き親父は、小生が鐵之丞の芸風に惹かれているのを知って鐵仙会に入会し、仕事で都合が悪い時は、必ずキップをまわしてくれた。ちょうど大曲の最後の時期から、渋谷の松涛に観世会館が移った頃だったと思う。

「幽玄」とは、能を称して言った言葉だが、鐵之丞の能には、その趣がある一方、艶やかな“華”があった。晩年まで華を失わずにいたので、どのような私生活をしているのか調べたこともある。たぶん私の中で最も贔屓にしている市村竹之丞と、頭の中でごっちゃになっているためかもしれない。

中学の2年から謡いと仕舞を習い出し、大学まで続けたが、その時期は歌舞伎と文楽に夢中になっていた時だった。最初に歌舞伎を観たのが新橋演舞場、市村竹之丞が立役の弁慶を演じた。確か今頃だったと思うが、弁慶を観て、その後学校の先輩である梅若六郎の「安宅関」を、お師匠さん(親友である岡久男氏:日曜日NHKラジオ朝8時の能楽番組に度々出ている)に誘われて行ったが、その時むしろ竹之丞の弁慶がより好きになったと言う気持ちだけで、舞台のことはあまり覚えていない。その後、古典芸能に親しむようになって、観世鐵之丞と出会った。

その人も先週没故し、自分の好きな古典芸能の立役の人達は、文楽の主使いの蓑助氏を除いては、いなくなってしまった。今は花き需要の踊り場なので、もう少し仕事に集中することとし、山登りやゴルフ以外はちょっとお休みするが、2005年になったらライフワークである小林秀雄と、審美眼が錆付いた古典芸能鑑賞を、もう一度はじめることとする。

盆なので、亡き父と鐵之丞氏が記憶の中でダブってしまい、ほとんど同一人物であったような気がする。家に帰ってくるのを楽しみにしている。


2000/07/10 磯村信夫