花の卸売市場はなくならない


明けましておめでとうございます。本年もご愛読のほど、宜しくお願い申し上げます。さて、本年第一回の話として、地方市場の役割につき所見を述べさせて頂きます。

2000年12月の東京花き協同組合の最後の理事会で、取り扱い金額の減と一向に明るさを見せない景気、更に将来襲いかかってくるかもしれない手数料の自由化などの不安から、卸売市場数の減や、自社の生き残りについて、会員がかなりの危機感を持っていることを肌で感じました

「大田の花き部は、(そういうふうにならないから)いいよ」との発言もありましたが、私はそれでは困ると考えております。そのことをお話します。

少子高齢化で、政府は徒歩と自転車で買い物ができる街づくりを提案しています。商店街では、ご高齢の方から一括受注を受け、品物を調達しお届けサービスを行っているところもあります。地方に行くと、郊外の大型店舗が栄え、市内の商店街の空洞化が目に付きますが、高齢化社会を迎えるにあたって、車社会に適合した買い物ゾーンだけではと、不安に思うことがあります。もしかしたらこれは杞憂で、その大型店も宅配サービスを将来行っていくかもしれません。

しかし、地域のなじみの商店街が、今言うショッピングモールとして、時代に合わせながら生まれ変わり、小売り店舗の競争は激しさを増すものの、消費者からは選択肢が増えたことへの期待が膨らんでいくことと思います。自分の都合に合わせ、お買い物ができるからです。ここに終着点を置くとすると、花の小売業界において、従来にも増して元気な専門店の活躍が望まれます。「サンショは小粒でピリリと辛い」こういう専門店が日本中の至る所にあり、ご年配の方への配慮は無論のこと、それぞれの消費者のお宅の御用達のお花屋さんになっていくことが、その地域の人達の豊かな暮らしと結びついています。そういう規模の小売店が存続するためには、地元に確固たる卸売市場(仕入れ先)が必要となります。

日本中にお花屋さんが多数存続し得るその理由の一つに、地域に花の卸売市場があるからです。その卸売市場が地域の文化を共有する同業他社と連携を組み、集荷をする場合もあるでしょうし、大手の卸売会社と連帯を組み、商品を調達する場合もあるでしょう。しかし、大切なことは、地元の消費者にとって、また地元のお花屋さんにとって、自分の卸売会社、自分の卸売会社が必要だ、役に立っているということを再度自覚することであろうと思います。

社会のインフラ事業である花の卸売会社は、建値相場を作るという意味では、確かに日本中にいくつかあれば済むかも知れません。しかし、卸売市場の基本的な役割とは、ライフラインに似たロジスティックスそのものにあるのです。大規模産地ばかりであれば、大手の卸売会社に効率という視点から荷物を集中させていくでしょうが、大きな産地ではないところや、花を始めたばかりのところ、はたまた仲間がいないので個人出荷をしている生産者など、多数の自由意志を持った、それぞれの成長段階にある多くの産地があり、将来の消費増が約束された花き生産に、日夜取り組んでいます。生産地にしっかりとお金をお返しするためにも、地域の卸市場が頑張っていく社会的意義があります。

工業に最適化された日本システムが、ポスト工業社会に移って、思わしい成果を上げることができず、構造改革を余儀なくされています。その時、今行なわれているポスト工業社会に最適な、アメリカシステムの導入だけが良い方策であるとはいえないのです。確かに今以上に効率と重んじた流通機構にしなければならないでしょう。しかし、もう一方に効率を同じだけの重さで地方都市やそこで生活をする人達のこと、更に、社会的に恵まれないお年寄りの方々への配慮がある花き流通へ、再構築していく必要があると考えます。

仲良しクラブは解散です。しかし、新たな意志を持った同士が共に集い、新たな集団となって社会から与えられた役割を持ち、チャレンジする。これが21世紀最初のディケードに、日本各地で我々が取り組む第一の課題であると信じています。




2001/01/05 磯村信夫