時局を読む


花の仕事をしていると、日本の社会が見えてくる。仁徳天皇の民のかまどの話にあるように、日本の指導者はいつも庶民の暮らし向きを思ってきた。雛祭りにしても、端午の節句にしても、いずれも宮中の行事が庶民に広がっていったものである。江戸時代武家に奉公し、行儀作法を会得した商家の娘たちは、たしなみとして生け花を学んだ。日本は世界でも例外的に統治者は無私の精神を以ってこれに臨んできたと言える。それ故、庶民にも広がる花文化は、最初は統治者の生活を起源とする。

1938年、国家総動員法が施行され、緊急事態となった。その後も全体最適のため、海外から"株式会社日本"と揶揄されても、軍事力を放棄した日本にとって経済力が唯一国力を高めると、政官が指導する体制をとり続けた。そしてこの全体最適の仕組みが適切に機能するには、次のことが前提になっていた。それは、政治家や役人が自己を厳しく律し、たとえ社会のそれぞれの部分で不満があろうとも、未来のためにこの国を形作ろうとする強い意志を持つことだ。しかし、近年それが甚だしく欠けていることが露見した。1980年代、日本は世界第2位の経済力を誇るようになった時、'40年代から続くこの方式を改めるべきであったのである。

次々に露見する政官癒着の構造は、国家を食い物にしているとしか思えない。原因はシステムにあり、財政投融資や特殊法人などの官に関わるところと、地方交付金など政に関わるところが大きいとされる。

当然、これらを変えていかなければならない。国民の一人として苦労のし甲斐がないのだ。国と社団法人との関係も変えていかなければならない。どの社団法人も、今までとは違ったスタンスで臨まなければならないのだ。

自民・社会の'55年体制の図式はなくなったものの、今肝心の'40年体制を改める時に差し掛かっている。花市場は、私企業としての経済合理性と社会性のそれぞれから政官との間合いのとりかたを新しく考えるべき時にきている。




2002/04/15 磯村信夫