日本の「花き産業」とは


オランダで開催中の国際園芸博覧会「フロリアード2002」に、花普及センターからの要請で当社の桐生が現地駐在していた。6月、私が現地を訪れた際に彼にオランダの花はどういう印象かと聞くと、安定して一定の品質のものを量産する力はすごい、と感嘆していた。

先週の水曜日、小原流の花材を請け負う豊友会の理事会でお話をする機会があった。そのときの質問のひとつに、市場が大きくなっていくと共選共販品ばかりになって、活け花に必要な花が手に入りにくくなるのではないかと心配する向きのものがあった。リンドウやトリカブトなど、市場流通しているものは活け花に使うには確かに立派過ぎるものが多い。

そこで私は、マックス・ウェーバーが解説している資本主義についてのあらましを例にとりお話した。
資本主義は同一性と増殖性(利子や利益を乗せる)との複雑な結合からできるシステムである。その社会はあらゆるものの商品化を推し進めようとするので全ての物事を等価交換の原理のもとに従わせようとする。そのため、徹底した合理化が人々の暮らしの隅々にまで浸透し、スタンダードなものが生活のあらゆる領域に広がっていく。
それは人間の肉体の深いレベルにまで進行し、ヒトの感覚さえも平準化されてしまう。これがマックス・ウェーバーの有名な音階律の話である。資本主義成立後、今使われている音階律の中で人々の聴覚は平準化され、その中でしか音楽を美しいと感じることができなくなってしまった。しかし、実際には自然界にははるかに多様な音が存在し、それらも美しいのである。
活け花の世界はこの自然界により近い。風すらも生命の営みととらえる美意識を持つ日本人が作り出した花の世界である。

これに対処するには2つの施策が必要だと考える。ひとつは花き業界を産業化するために、オランダのようにスタンダード品の生産をさらに推し進めていくこと。ふたつめは、スタンダードなもの以外のご注文に応えられるような花材の調達ルートを作ることである。花材に対する不安をできる限り取り除くことは卸売会社の責務ではないだろうか。




2002/10/07 磯村信夫