創業者精神から再出発がある


最近の温かさで、アメリカハナミズキが咲き出した。

昨日JFTD創立50周年記念式典が行われ、出席した。そこでは、歴史を作り上げた創業者たちの心意気を再確認し、自分たちが何者であるかを認識した上で、今までの成果を噛み締め、新たな50周年に向かって歩み出した大会であった。

確かアメリカで「ルーツ」がはやったときも、新たな発展前の混乱期であった。特に1980年代の初頭は殆どのアメリカ人が自信をなくしていた。しかし、80年代後半になると、規制緩和による混乱期でも、学ぼうとする意欲が伺えたし、宗教信仰の精神も活発であった。端から見ても宗教と建国の理念はアメリカのかけがえのない財産だと思った。
僕は90年代初頭のバブル経済崩壊後、行動規範になる宗教を持たない日本人は歴史に頼らざるを得ないと考え、司馬遼太郎を片っ端から読んだ。僕はライフワークとしての小林秀雄があり、中学生時代から毎週歌舞伎や文楽を見ていて、そして大学卒業まで能を習っていたので、多少は日本人の何たるかを知っていたつもりだったが、日頃の行動を規定するしっかりしたものさしを見つけることができていなかったという方が正確であるように思える。
しかし、ここにきて歴史とは創業者精神であることに気付いた。例えば当社で改革といっても、創業者の思いから外れたものであれば、今の状況や今後想定される状況に適合させても、根無し草のように心もとないものになってしまう。その形やシステムが成果を上げても、商売をただ生きていくための手段に使ったことにしかならない。それでは、社員の膨大なエネルギーを使う価値があるだろうかと考えてしまう。このような無駄をしないために、花き業界においても小売店や卸・仲卸・生産者も創業者がどんな思いで仕事を始めたのか、どのようになりたいと思っていたのかを反芻し、その思いを企業体のDNAの中に埋め込んでいなければならない。その上で変幻自在にリストラクチャリングする。そして新しい時代を切り開く。これが各社が発展する基礎的な条件となっているはずだ。

JFTDはそのようにしてこれからも発展していくだろう。




2003/04/14 磯村信夫