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2015年8月24日

生鮮品卸売市場の相違点を認識することの重要性

 花きでは、東京都の条例に基づき原則「木曜日と日曜日は(切花の)セリをしない」と、年間を通して決まっているかと思います。これが青果の場合、何故か水産と一緒に休みを設けるよう決められております。これは昔からそう決まっていることでしたが、私は「それはおかしい」と叫び続けてきました。しかし、東京都を含めた協会は、青果と水産が一緒に休みを取ることが市場の総合力強化になると言い続けています。その根拠を求めたところ、「築地の水産と青果の市場は関連している」と言うのです。例えば、お寿司屋さんが魚の買い物をした後に、大葉やわさび等の"つまもの"を買ったりといったことです。従って、一緒に休まないと売上が落ちてしまうというのです。確かにそういう方もいるでしょう。では、その売上はどの位あるのか尋ねると、東京都は「調べていない」というわけです。調べていない、分からないことを理由に総合力強化などおかしなことです。埒が明きません。水産の方も関連があるとしか言いません。一緒に休まないと売上が落ちるというわけです。

 しかし、少なくとも大田市場で調べた限り、我々の売上の約7割は量販店なのですが、量販店のバイヤーで、誰一人青果と水産を両方買うバイヤーはいません。それ以外の取引先、八百屋さん、果物屋さん等いらっしゃいますが、その小売りの方に聞いても魚を一緒に買っている人はゼロです。従って、大田市場にいる限り、青果と水産は購買者が違います。出荷者ももちろん、そして、輸送も違います。温度帯が違うし匂いも移るので混載出来きません。大田市場から青果・水産両方買うところが無いわけではないのですけれども、バイヤーもトラックも全く別の流通をしているのです。

 また、青果市場が週五日で営業した場合と週六日で営業した場合の、過去三年間を調べたところ、ほぼ100%で売上が一致します。畑で100本とれた大根を五日で売るか、六日で売るかという違いしかないことが分かりました。むしろ、相場の弾みもつくので、水曜日を休みにして営業した方がコストも下がり、且つ、売上も落ちません。一方、水産の場合ですと、週六日で売った方が売上が良いのです。これはどういうことかと言いますと、バックグラウンドの違いが挙げられます。青果の場合、市場が休みの時は収穫を遅らせるとか、パッキングをやめるとか、それだけで済みます。これが水産の場合ですと、船が港に上がってしまって、船主が港の業者に全量売ってしまう。これを港の業者が「どこに売るか」ということになります。その時に市場が休みだと、市場外流通に流れてしまう。従って、理論的に週五日で営業すれば、1日船から揚がってしまった分、市場のシェアが下がる。こういう事情があるのです。

 従って、青果と水産が一緒に休むということはお互いメリットがないと私は訴え続けています。二年前、大学教授四名を推薦して頂き、「卸売市場 休市の在り方検討会」という第三者委員会を設置しました。結論としまして、青果と水産は一緒に休む必要はなく、青果市場の事情が宜しいのであれば、休みの休市を先行して設定すべきだ、という意見書を頂きました。こちらとしても、特に従業員の福利厚生や、産地を少しでもサポートする為になるべく効率の良い物流をしたいと訴えていますが、今の所来年の休市には全く反映されておりません。どうも、昔のままやっていればという意識があるようです。

 休市はほんの些細なことなのですが、休みすら変えられなくて業務が変わる筈がありません。その辺りの意識が出来ていない。こういう現実があります。いわれもない規制、流れがまだまだこの業界には沢山あって、非効率的だなと感じています。特にこの件についてはその思いが強く、なるべく変えていきたいと思っています。

取締役 川田 一光
(東京青果 株式会社 代表取締役社長)

14:12

2015年8月17日

無いと気持ち悪いような......

 花をどうやって個人の生活に定着させるか。これが、当然だが花の消費増大に欠かせないことと思われる。日本において個人の生活の中で花を活けることは、おそらく室町時代位から武士階級、町人の中に定着して、それがずっと戦前まで続き、更に戦後もその生活習慣が身についた大正生まれまで引き継がれた。そして、それがこの10年ほどで終わったと見られる。その子供世代であり、現在消費の主導権を持つと思われる団塊前後の世代には、残念ながらその習慣はほとんど引き継がれていない。従って、その孫子は言わずもがなということになる。

 花が家庭に少しでもあるという生活を一定期間経験すると、不思議なことだが、無いと寂しいような、気持ちが悪いような気がする経験を私は年を経て気が付いた。それでは、広く消費者にこの「花がないと気持ちが悪いような......」といった気持ちになってもらうにはどうしたら良いのだろうか。業界ではそれぞれの時季にあわせたキャンペーン活動をしたり、店頭でお試しの無料配布を試みるチェーン店がある。また、保育園・幼稚園から小学生までの年代の子供たちへの花育に粘り強く取り組んだりしているのだが、なかなか難しいようだ。

 そのためには、先ずは経済的に少しのゆとりと心のゆとりが前提になるのだろうが、この国の社会経済状況をみると、残念ながら緩やかに逆の風が吹いているように感じる。少し前には、若者の消費額の相当部分を情報通信費が占めて他の消費の足を引っ張っていると言われたが、今や大人、高齢世帯までもが家計の中に占める情報通信費の割合が高くなりつつあるとのこと。そういえば好業績の企業の上位には情報通信業が目白押しだ。そして、経済成長は概ね順調とはいうものの、日本人、特にいわゆるホワイトカラーの労働生産性は世界的に見て恐ろしく低いそうで、このままでは労働時間はますます長くなり、懐具合が少々良くなっても心のゆとりはますます無くなっていくだろう。もっと大きく言えば、このまま経済成長頼みと高年者優遇の財政社会福祉政策、票の価値不平等の是正に消極的であるような老人ポピュリズムを続けていれば、国の財政は行き詰まり、南欧の国のように所得は減少し、公共サービスレベルは下がって行く国になって、ますますゆとりはなくなってゆくだろう。

 話が脱線してしまったが、みなさんも少しでも良いからたまには花を買ってきて、家の中に置いてみて欲しい。きっと「無いとなにか気持ち悪い」ような感じになってくるはずだ。

取締役 磯村 宣延

14:12

2015年8月10日

指名委員会等設置会社の監督機能について

 株式会社大田花きは指名委員会等設置会社であり、指名委員会、報酬委員会、監査委員会の三つの委員会が設置されている。私自身は、今年度は監査委員会のメンバーであり監査委員会の委員長となった。このため監査委員会が実効性を発揮できるように運営するべき大きな責任を感じている。

 指名委員会等設置会社は社外取締役による監督機能が期待されるため、監督機能としては強固であると考えられているが、最近その指名委員会等設置会社である株式会社東芝において不適切会計が問題となった。私は東芝でなぜ指名委員会等設置会社の仕組みが機能しなかったのか、特になぜ監査委員会の監査機能が機能しなかったのか知りたいと思った。7月に公表された東芝の第三者委員会の報告書を読んだところ、監査委員会が機能しなかった理由として「①概ね元東芝CFOが常勤の監査委員として監査委員長を行っていたこと。②社外監査委員の中に財務・経理に関して十分な知見を有しているものがいなかったこと。③監査委員の監査の主眼がコンプライアンスの管理や財務情報等の信頼性の確保よりも業務の有効性・効率性の確保にあったこと。」としており、「財務・経理に精通した監査委員および補助スタッフの増員と社外取締役を監査委員長とすること」などの提言がなされていた。

 東芝の第三者委員会の報告書はもっともであると納得する一方、よくよく考えてみるといくら報告書のとおり仕組みを整えても、結局担当する人次第で機能するかしないかは決まるのではと感じている。社外取締役の職務は事なかれ主義に徹すると、実に楽に仕事が済んでしまう役職である。仮に問題点に気付いても、それを追求すると面倒だなと考えたり、多分大丈夫だろうと思ったりして何も行動せずにいたとしても通常誰からも非難されることがない。こうなると、指名委員会等設置会社の強固な監督機能の仕組みは簡単に形骸化してしまう。社外取締役が高い意識を常に持ち、楽な方へ流されないように自分を律して職務を遂行しないと強固な監督機能は発揮されない。

 大田花きの私以外の取締役は皆、花き業界、流通業界、市場運営といったことに豊富な知識と経験を持ち、取締役会においても含蓄のある発言を積極的にされ「なるほど」と思わされることが多々ある。皆高い意識を持って取締役の職務を遂行されていると感じている。私自身は花き業界等についての特別な知識や経験がないため、他の取締役の方々のように含蓄のある意見は期待できない分、公認会計士・税理士としての視点から会社の財務・経理、コンプライアンス及びリスクの管理といった部分については誤りがおこらないように注力していきたいと思っている。

 現時点において大田花きの指名委員会等設置会社の監督機能は十分に機能しているといえるであろう。しかし上述したようにこの監督機能は簡単に形骸化して機能しなくなるもろさを持っている。このことを念頭に、今後もこの監督機能が機能し続けるために私は取締役として事なかれ主義にならずに高い意識を持って職務を遂行していかなければならないと考えている。

取締役 内田 善昭
(内田善昭公認会計士事務所 所長)

06:26

2015年8月 3日

時代の変化と卸売市場の役割

 先日、雑誌で興味深い記事を読んだ。イオン、イトーヨーカ堂など大手量販店に関するもので、これまで破竹の勢いで伸びてきた大手量販店ビジネスの先行きが、不透明になってきたというものである。大手量販店は、本部仕入などの集中購買で調達力をつけると共に、マニュアル化により店舗オペレーションの効率化を図り、どの店舗でも同等の商品、サービスを提供することで競争力を高めてきた。また、合従連衡によりチェーン網の拡大もはかってきた。コンビニなどの新しい業態を展開し業績も伸ばしてきた。しかし、近年、本来の中核事業であったスーパー事業の利益がほとんどでない状態になってきたという。一時は地方スーパーを駆逐し全国制覇をする勢いであったが、この事業が壁にぶつかっているという。大手量販店の店舗は、品揃え、サービス共画一的であり、地方顧客のニーズに合わせた品揃え、売り場づくりが問題になっているらしい。強力な中央集権体制は、顧客に合わせた品揃えや売り場づくりをする力を現場から削いでしまったとも言われている。逆に地域特産品などを取り入れた地方スーパーの品揃え、売り場づくりが見直されている。これまで強いと思われていたビジネスモデルに大きな変化が現れているのだ。規模が強さではなくなり、「物量」ではなく「知量」が重要になってきている。

 情報化、交通網の発達、高齢化など、時代の変化と共に消費者ニーズにも変化が現れている。高度成長期には、世の中全体が忙しく効率化が求められていた。質よりは量、又は低価格なものが求められていた。全国どこにいても同じ商品、同じサービスを提供できることが評価されていた。安定成長期に入り、大型店舗での画一的な商品提供から、質が重視され、特徴ある品揃えが求められるようになってきた。高齢者の話を聞くと、大型店は品揃えは豊富だが、商品が多すぎて買いづらいという話も聞く。専門知識を持ち、顧客の立場に立った提案のできる専門店が求められているように思える。特に「花き」の場合は単に商品を購入するというだけではなく、生活の中でそれを楽しむということも重要な要素になる。従来から、日本では生活の中に花が取り入れられてきた。命日には仏壇に花を飾り故人を偲ぶ習慣もあった。また、生け花は花嫁修業の一つでもあった。高齢化社会が進展しているが、高齢者は花を生活に取り入れてきた世代である。元気な高齢者に古き良き文化をもっと発信してもらう必要があるのかもしれない。

 先日、家族で福島へ旅行した。宿泊したホテルでは至るところに立派な花が生けてあった。ロビーを兼ねた喫茶コーナーでは、すべてのテーブルに小さな鉢物が置いてあった。各テーブルともすべて異なる種類のものであり、非常に気配りあるサービスだと思った。平日であったこともあり、宿泊客の多くは高齢者であったが、皆満足しているように見えた。チェックアウトの際に購入先を尋ねている人もいた。工夫次第でビジネスチャンスは大いにあるように感じた。

 卸売市場では多種多様な商品を取り扱っている。見方を変えれば新しい発見があるかもしれない。生産者、小売店との情報交換を密にし、花を楽しむ生活提案など新しい役割を果たしてゆく時代がきているように思う。

取締役 奥野 義博
(元 JFEアドバンストライト株式会社 代表取締役社長)

13:28

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