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2015年8月17日

無いと気持ち悪いような......

 花をどうやって個人の生活に定着させるか。これが、当然だが花の消費増大に欠かせないことと思われる。日本において個人の生活の中で花を活けることは、おそらく室町時代位から武士階級、町人の中に定着して、それがずっと戦前まで続き、更に戦後もその生活習慣が身についた大正生まれまで引き継がれた。そして、それがこの10年ほどで終わったと見られる。その子供世代であり、現在消費の主導権を持つと思われる団塊前後の世代には、残念ながらその習慣はほとんど引き継がれていない。従って、その孫子は言わずもがなということになる。

 花が家庭に少しでもあるという生活を一定期間経験すると、不思議なことだが、無いと寂しいような、気持ちが悪いような気がする経験を私は年を経て気が付いた。それでは、広く消費者にこの「花がないと気持ちが悪いような......」といった気持ちになってもらうにはどうしたら良いのだろうか。業界ではそれぞれの時季にあわせたキャンペーン活動をしたり、店頭でお試しの無料配布を試みるチェーン店がある。また、保育園・幼稚園から小学生までの年代の子供たちへの花育に粘り強く取り組んだりしているのだが、なかなか難しいようだ。

 そのためには、先ずは経済的に少しのゆとりと心のゆとりが前提になるのだろうが、この国の社会経済状況をみると、残念ながら緩やかに逆の風が吹いているように感じる。少し前には、若者の消費額の相当部分を情報通信費が占めて他の消費の足を引っ張っていると言われたが、今や大人、高齢世帯までもが家計の中に占める情報通信費の割合が高くなりつつあるとのこと。そういえば好業績の企業の上位には情報通信業が目白押しだ。そして、経済成長は概ね順調とはいうものの、日本人、特にいわゆるホワイトカラーの労働生産性は世界的に見て恐ろしく低いそうで、このままでは労働時間はますます長くなり、懐具合が少々良くなっても心のゆとりはますます無くなっていくだろう。もっと大きく言えば、このまま経済成長頼みと高年者優遇の財政社会福祉政策、票の価値不平等の是正に消極的であるような老人ポピュリズムを続けていれば、国の財政は行き詰まり、南欧の国のように所得は減少し、公共サービスレベルは下がって行く国になって、ますますゆとりはなくなってゆくだろう。

 話が脱線してしまったが、みなさんも少しでも良いからたまには花を買ってきて、家の中に置いてみて欲しい。きっと「無いとなにか気持ち悪い」ような感じになってくるはずだ。

取締役 磯村 宣延

2015年8月17日 14:12

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