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2005年4月11日

伝統文化

昨日、息子のたっての要望で、歌舞伎と寄席を一緒に観に行った。結婚25周年のとき、京都の料亭で舞妓さんを見た娘と息子は日本の伝統に触れ、その衝撃たるや大変なものであった。そのあと、京都から倉敷へ行ったが、その街のたたずまいにはびっくりしていた。大原美術館のブラックの抽象画や後期印象派の絵などは美術好きの子供たちだったから、感激したのは当然であったが、その感激は彼ら日本の若者の教養の中にある。

息子夫婦はアメリカに行くことが決まり、今荷造りをしているが、その前に外国に行ったら日本人はそれぞれ日本を代表するようになるから、歌舞伎や文楽、落語や能などをにわか勉強でもいいからしておきたいというので連れて行ったわけだ。今、中村屋の襲名披露が歌舞伎座であり、4階の立ち見で昼の一幕目だけを私の解説付きで観た。私は見慣れているから役者のセリフも、義太夫が語る言葉もすっかりわかるが、子供たちはわからなかったらしい。そこでプログラムを買って、粗筋を読んでもらい、成駒屋(なりこまや)は誰で、成田屋は誰、勘三郎はなぜ中村屋なのかなど、周囲の人の邪魔にならないよう小声で教えた。好きになるのが目的ではないが、向学心を持っていたので鈴本に場所を変えて、ビールを飲みながら今度は落語の高座を聞いていた。こちらのほうが当世風だ。

ここに我々の仕事の国際化のポイントがある。国際化すればするほど、日本人のアイデンティティを意識しなければならない。領土問題から歴史教科書問題、その地で営業する日本企業や大使館が投石による被害を受けるなど、国際化は絶えず私たちに日本人であることを意識させる。SARSやBSEなど、グローバリゼーションは一旦トラブルが発生したとき、パラドキシカルに国境(国)を意識させる。

日本の花き産業においてもフラワーデザインも大切だが、その前に生け花や仏花が大切だ。ここを体得せずして何故日本の花き業界が世界と伍していけるだろうか。庭や盆栽も言うまでもない。

昨日息子夫婦に世間のしがらみと義理と人情、そして無私の精神、これが大衆文化の歌舞伎や古典落語の人気の基本であることを伝えたが、日本人だからこの辺りの価値観はすんなり受け入れていた。にわか勉強でどこまでできるかわからないが、誠実で心優しいことがこの国の性分だから、にわか勉強の中で身に付けたものを更に勉強してもらえばそれですむ。これは花の世界でも同じことだ。

投稿者 磯村信夫 : 2005年4月11日 18:36

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