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2006年5月15日

効率だけが効率ではない

 母の日前の13日(土)、鉢物市で入荷が多いに違いないと、朝3時頃平和の森公園を通って大田市場への道を急いでいた。平和の森公園に隣接する環状7号線の高架下に4人のホームレスがいつも並んで寝ている。その一番公園側にいる人と彼が起きているときいつも挨拶をするから、僕は勝手に彼をテッちゃんと呼んでいる。普段ならこの時間テッちゃんは寝ているが、この日はどういうわけか30歳代、とは言っても35歳過ぎの小太りの女性と話していた。女性はテッちゃんの布団の端に行儀良く手と足をそろえ背筋を伸ばし話し合っていて、その雰囲気からするとその女性は彼に帰ってきてほしい。そしてもう一度彼と暮らしたがっているようであった。その場を離れ5分ほど歩くとニチレイの冷蔵倉庫があり、旧式のホンダアコードワゴンが止まっておりその中に、これも僕が勝手に付けた名前だが、ゲンちゃんが寝ている。なぜ車の中で寝ているのか分からないが、夏も冬も運転席を倒して寝ている。
 昨日の日曜日、テッちゃんのことが気になっていたので、4時頃起きてその場所を見に行った。なにやら暗くてわからないがいないかもしれないと思い、とりあえず会社に来てやり残しの仕事を片付けた。6時30分頃、帰り道で気になってまた環7下の高架下を覗いたら、彼は鍋で朝食を作っているところだった。目でちょっと挨拶をし、そのまま帰宅したが、えも言われぬ情感が今も続いている。きっと彼らには他人には言えない過去があったのだろう。
 自殺件数も同様、あるいはニートの問題もだが、人それぞれに生きていくことがむずかしい社会になっていることは事実だ。高速道路の追い越し車線を軽トラックもスポーツカーも大きなトレーラーも高級なサルーンも一緒になって競って走ろうとしている。またそのように仕向けている。そのことがなんと多くの犠牲をそれぞれに強いていることか。分をわきまえそこねたという人もいよう。しかし、そのように我々が仕向けてはいないか。判官びいきだったり、僕の大好きな義太夫の熊谷陣屋であったり、そういったものを仕事の中でも生かし、職場をゲゼルシャフトと同様、効率だけが効率ではない人間の組織として再構築する必要がある。よく仕事と私生活と分けていこうとするが、人はそんなに器用なものではないし、24時間すべてが自分の生の証でないといけないはずだ。そのとき母の日のように欠かせない命を感謝する具体的な日がある。この情緒的な心情こそ、我々の宝であるはずだ。時代と共に価値観も変わろうが、母の日は理想的な社会性を家族の関係を通じて私たちに教えてくれる。

P.S.
 5月10日(水)朝日新聞夕刊トップの海賊版カーネーションの大見出しではじまった種苗法違反の疑いの可能性がある輸入カーネーションのトピックスは、日本農業新聞土曜朝刊の中川農林大臣のコメント(国産品を買うのが習慣といった内容)で終わり、たくさんの新聞・テレビで報じられた。中国からのカーネーションは100本ずつ指定されたシールを張ることが種苗会社と輸入会社の間で約束されており、輸入会社はそれを現地に言って守らせる必要がある。輸入品が増えている昨今、このように時局のトピックスとして取り上げられたので、私たち花き業界は、小売の人たちは大変だろうけど原産国表示をして、消費者に納得して店頭で選んでもらうことが花も必要だと思われる。ぜひとも小売でも店頭での原産地表示をお願いしたい。

投稿者 磯村信夫 : 2006年5月15日 18:50

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