大田花き 大田花きコーポレートサイトへ
 

« 筋が通って、キップがいい | トップ | 不易なるものへの憧れ »

2006年7月17日

簡潔な暮らしを提案する

 7月のお盆の立会は出遅れていた高冷地からの花が日に日に増えていく中での展開で、ちょうど昨年と全く逆、下げ基調での相場で展開された。卸売価格は安値に泣いたが、小売店はまぁまぁで今後メリハリの利いた夏本番の市況となっていくことだろう。

 お盆前に母の住む池上へ行くと、なんと香りの良いことに畳を張り替えてあった。7年ぶりだそうだが、新しい畳に寝転がるのは本当に気持ちが良い。不思議なもので、畳に寝転がって天井を見上げていると、それだけで広々としたところにいる気分で、普段、椅子と机と壁紙でできた箱の中で生活しているのとは違って、心が広々とする。そのようなことを感じながら居間へ行き、母と妹に「庭も植木屋さんに入ってもらってきれいになったね。」と言うと、そこからお金の話になった。これはあくまでも相対的なものだが、畳の張替えに比べ、植木屋さんの方がちょっと高いという。たしかにそれはそうだが、そんなことを言ったら、床屋や美容室の方がもっと高いだろう。生きているものの姿を整えるということは、技も必要だし、頻繁にしなくてはいけないから高く付く。でも楽しみといえば楽しみだ。「ヘアスタイルならぬ、庭のスタイルもちょっと変えてみては?」と話した。

 明治も20年を過ぎると、新しい国の形が整ってきた。板垣退助が久しぶりに嵐山に赴くと、彼が見た嵐山の風景と違う。そばの料亭の下足番だと思ったが男に聞くと、江戸時代、幕府はこの嵐山の借景に手を入れていたという。板垣退助は徳川幕府の心を知るのである。美術品だけでなく立ち振る舞いや、今でも靴をそろえて上がること。また、日本の社長が海外に新しく拠点を設けるときにその国の民族の生活ぶりを見て、これなら大丈夫だとお金以外の価値を推し量り、建設するどうか判断の材料にする。今日、日本に悪平等は少なくなってきたが、その分ものさしが金一辺倒になってしまうのは困る。金や効率で物事を推し量ることがあって当然だ。しかし、それ以外のもので物事を考える、それ以外のものでも大切な尺度がある。それはご都合主義にとらわれない、山川草木の真善美である。
こうした心持ちに私たちがなったとき、ホテルの観葉植物の造花は、バブルのとき以来久しぶりに生きている植物となる。その前の段階に今、花き業界はいる。生き物の本物の良さを営業するときが来たのだ。

投稿者 磯村信夫 : 2006年7月17日 00:00

Copyright(C) Ota Floriculture Auction Co.,Ltd.