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2006年11月22日

クリスマスツリー

大田花きのお客さんはアメリカ・オレゴン州やワシントン州のクリスマスツリーもないと承知しない。国産は強い風に吹かれて成長がとてもゆっくりな富士山のもので、オレゴンのクリスマスツリーと富士山のクリスマスツリー、それが弊社のクリスマスツリーだ。

オレゴンのクリスマスツリーは2004年、2005年と2年間も植物検疫で輸入できず、納品先が決まっている大手の仲卸さんや小売店さんに、突然のキャンセルで大変ご迷惑をお掛けした。もし今年植検で引っかかるようなら、もう縁がないものとしようと輸入商の方と入念に打ち合わせをし、本年は無事に通関ができた。銀座並木通りのシャネルやエルメスなどこのオレゴンのクリスマスツリーじゃなければいらないと言われている得意先にも、ようやく面目が立つ。

大田花きのクリスマスツリーの取り扱いは日本の中でも特異な存在だと思う。それは大森園芸の頃からの歴史と伝統に基づく。大森山王にドイツ学園があった。良いクリスマスツリーはドイツ学園に出入りしているすぐ近所のお花屋さんが何百本も一手に受注していた。米軍とアメリカ大使館に出入りしていたお花屋さんは別にいる。この人もまた大量に扱った。羽田がまだ国際空港だった頃、アジアや中東からの要望で毎年100本くらい輸出をしている羽田のお花屋さんがいた。横浜から横須賀にかけての米軍と繁華街に横浜方面を得意としていた仲卸さんたちが毎年トラック2台分くらいセリで買い付けた。その頃は国産だけで富士山と長野県の八ヶ岳のものだったが、富士山のものは独立国だったから寒く、風が強く、成長が遅い。それが絵に描いたようなクリスマスツリーを作り上げる。そこを中心に販売していた。大田になってアメリカの農商務省USDAがアメリカの農産物輸出振興策の一環としてレザーファン、レザーシダだけでなく、クリスマス仕様のものも出荷することとなり、大田花きは毎年現地に赴き、販売するものを品定めした。

こういう経過から、日本の花き市場の中でも、特異なクリスマスツリーを扱う卸がまた生まれた。クリスマスツリーは販売促進用に今でもよく使われている。しかしこれはいわゆる業務需要だ。このビジネスユースでなく、ホームユースにとなると、昔のほうが明らかに多かったように思う。クリスマスツリーを飾らなくても、ライトアップならぬイルミネーションを楽しむ方向にクリスマスが変わってきたのはなんとも残念なことだが、しかしこれも世の常。いつか必ず多様化の中でクリスマスツリーが一定の割合を占めていくものと思われる。クリスマスツリーの足元にプレゼントを置いておく、そしてプレゼントを交換しあう。クリスマスを楽しんだ後、今度はお正月。おせち料理とお年玉へと続く。この一家団欒こそ、花が家庭需要で使われる条件である。ツリーとポインセチア、まだ飾っていない読者の皆様は、ぜひとも早速花屋さんへ行ってください。

投稿者 磯村信夫 : 2006年11月22日 15:50

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