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2010年8月 2日

違いを認めた平等-日本の卸売市場

8月1日付の『日本農業新聞』にFAO(国連食糧農業機関)アジア太平洋地域代表の小沼廣幸氏へのインタビュー記事が載っていた。日本人としては初めてのアジア太平洋地域のFAO代表だ。記事の中で飢えについての質問があり、小沼代表は飢えには2つあり、1つはカロリーベースの絶対量不足、2つ目には富の偏在によるビタミンやミネラルなどの不足をあげていらっしゃった。

7月31日の土曜日、市場流通ビジョンを考える会があり、この10月に第9次の卸売市場整備の基本方針が発表になるが、その前にそれぞれの市場協会等を通じて通達された内容について検討を加え、会としての方針を議論した。特に議論の対象となったのは「中核市場」についてだ。なお中核市場は水産・青果についてであり、食肉と花きについては適用されないが、しかし青果で適用されるものについては産地は当然花きも「右へ倣え」になるのだから、我が事として花き関係者は議論した。

東京には5つの中央卸売市場花き部があり、青果(水産)と一緒に中央卸売市場を構成している。その青果が拠点市場にならなかったら、産地指定などの面で不利になる。また最初から拠点市場ではないとされる市場も多い。これは格差ではないのか。これをどのように考えていったらよいのだろうか。

そこで思い出すのは2人の思想家である。まず釈尊の教えだ。お金持ちも貧乏人もいても良し。ただしお金持ちは寺や仏像など応分に寄進する役目を科して。貧しい者はできることをすれば良く、笑顔を布施としなさいとしている。差異あるいは格差を容認するが、徳目を持って世のため人のために修身して生きていきなさいと言っている。もう一人は今ベストセラーになっているマイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』の中にも出てくるジョン・ロールズである。20世紀、平等について徹底的に考え抜いた哲学者である。ポイントは二つあって、一つは市民には基本的自由が平等に与えられている。基本的権利、自由を侵してはならない。これは我々もすぐそうだと理解できる。もう一つが有名な「格差の原理」である。平等主義の権化と言えるロールズは、所得を平等に分配しようと考えるとある程度の格差、例えばバスの運転手より医師のほうが高給であるということを認める。社会で不遇な人々を助けるために自分の才能を使う限りにおいて、自分の才能から利益を得ることを良しとした。個人に備わった天賦の才は個人の才だけではなく、むしろ環境から得た比率が大きい。

平等のロールズは日本流に言えば、無私の精神で結果として得た収入を認めることは不正義ではないとした。では第9次で拠点市場として指定された市場と指定されなかった市場の問題をどのように考えたらよいのか。これは格差なのか役割なのか。市場流通ビジョンを考える会は多様化と個性化で今よりも役立つ生鮮食料品の流通を目指しており、作りすぎた卸売市場の数の調整も一定段階まで必要だと考えている。しかし日本の卸売市場を日本全体の生鮮品の流通システムとして見たとき、数の調整だけを促すのは良くないと考えている。三菱系の食品卸4社が合併し、2兆円規模になって国内事業の整理整頓と同時に海外へ出て行こうとしているのはわかる。オランダの花市場は2009年1月に合併して国内では一社体制になり、さらに2010年ドイツの花市場と一緒になることが決まった。また本年アールスメール市場のそばのインターネットのフローラアフリカも吸収し、巨大な卸売市場になってきた。このように中間流通として競争力を旨とした考え方、もう一方に平等を旨とした市場流通の考え方がある。日本の卸売市場人は国民生活を支えているという意識が強い。卸売市場はロールズの「格差の原理」を認めながら、平等主義に根ざした運営を自らしようとしている。それぞれ個性的で多様な「ロールズの格差原理」に基づく日本の卸売市場列島構想である。

投稿者 磯村信夫 : 2010年8月 2日 00:00

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