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2007年7月16日

もう一度環境問題を考える

昨日、地元のスーパーに買い物に行ったら、自前の買い物袋を持っている人も結構いて、環境問題への意識が高まっていることがわかる。近くのワンルームマンションの外にゴミ置き場があるが、分別しそこないのものをあえて清掃局の係官は持っていかないのでいつまでも整理整頓されていない。管理人のいるところでは管理人が指導するのだろうが、大森近辺のようにワンルームマンションが多いところも困ったことだ。

先週の迎え火の日に、娘と娘の子どもたちと一緒に母のところへ行った。キリスト教の幼稚園なので、盂蘭盆会のことを教えたがどうも怪訝そうな顔で理解ができたかどうか。しかしそんな子どもたちもなんとなく地球温暖化のことはわかっているらしい。それは団塊の世代のヤングママたちが子どもたちのアトピーが普通のこともあって環境問題は結構関心が高いからだ。

だが、その知識もマスコミの受け売りが多いのが残念で、例えば北極海の氷が溶けたら本当に海水が上がると思っているから恐ろしい。学校時代にアルキメデスの原理を勉強したはずだから、北極海の氷が溶けても水面が上がらないことを知っているだろうに、オランダが環境問題に一所懸命なのは自分の国が水没しそうだからで、大森界隈は危ないのではと思っているらしい。もともと水だったものが氷になって浮くわけだから、氷は水より軽いわけだ。だから溶けたって同じ水面になるだけだ。それは水割りを飲んでいるからアルキメデスの法則など出さずとも僕は実感でわかる。南極は陸地で氷が張っているから温暖化で氷が溶け出すという人もいれば、むしろ冷蔵庫の霜は開けたり閉めたりして温かくなるとつくので、氷の面積が大きくなるというのが科学上の常識だ。

オランダ人たちとこの辺をよく議論するが、CO2にしても日本の場合は割り箸や楊枝にしても、あるいはクリスマスツリーにしても、森や木を育てるためには光を多く入れる必要があるから、間伐し伐採して手を入れなければいけないのは自明である。ワンガリ・マータイさんが言う通り、外来の木ではなく、その地に生えている木を植林することが森を作る上でふさわしいが、それとてもきちっと間伐し、枝を落として手を入れなければならないのは言うまでもない。日本は70%以上も森林だが、若い森はCO2を吸収するが、年を取った森はすでにCO2を吸収しないし、朽ちていけば当然CO2を出すことになる。だから一方的なコマーシャルベースで展開されているグリーン購買やリサイクル活動など、本当にそうなのかもう一度しっかり考えてみる必要がある。思い込みと、極端な判断は要注意だ。

2002年までにコロンビアの首都ボコタにあったカーネーションのハウスは標高を上げて2500mに移した。地球が暖かくなっているからだ。長野県の伊那谷でカーネーションを出荷している人たちは「俺たちは愛知と同じ時期に出荷した方が良いものができる」と言っていたが、北海道でも寒くて今まで出荷時期が限られていたのに出荷時期が延びたり、他の品目を作ってみたりと、北海道、東北では温暖化をプラスに考えている産地も多い。今の地球の平均気温は15℃、地球の氷河期でも10℃くらいあったわけだから、地球上の生物は歴史上暑いほうが得意なのだ。そう考えてみると暑くて眠れずぐったりしてしまうが、さりとてもう一度温暖化や環境の問題、経済成長の問題、石油資源の問題をしっかり考える時期に来ている。マスコミを盲信するのではなく、もう一度自分なりに環境問題を考えて生活することが花を扱う我々にとってどうしても必要だと思う。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年7月 9日

研修

 欧米では7月7日で、催しやパーティーが多く、結構花が動いたようだ。日本では七夕とミルキーウェイでカスミソウの日である。カスミソウは大田市場でもセリ室上の通路、仲卸の中央花卉さんのところでフェアを行い、人気を博した。繰り返しやることによって認知度が上がってくるだろう。七夕の笹はどのように売っていくか悩ましいところだ。葉が瑞々しいままのものはビニールで包んで品質を保っているが、今はもう床がビチャビチャな花屋さんは少ないから横に寝かせて打水をするわけにはいかない。どうしても店頭に笹を置くと笹の葉が丸まってしまう。とある素敵な花屋さんの店員さんは「品物が悪いから売れない」と笹を下げてしまう。解決策は葉の瑞々しいものの値段とこのように葉が丸まってしまったものの値段を別々に付ける。そして店の前には短冊をつけて笹を飾っておく。当然この笹は葉がもう丸まってしまっている。だから葉が丸まってしまったものを商品として売っても良いのだ。七夕の前、とあるお店で素晴らしい七夕のアレンジメントを見た。皆様方はひなまつりのアレンジメントはご存知だろうか。お内裏様とお雛様を一つずつ、ガーベラやら何かそのような花を顔に見立てて、葉物とラッピングペーパーで上手に包み、それを2つ合わせて飾ってもらうのだ。これと同じように織姫と彦星を一つずつ作る。ミソは笹葉ルスカスだ。イタリアンルスカスをサッと入れて小さな短冊をしつらえる。これで出来上がり。季節を楽しむ、今風に焼きなおしたアレンジだ。「これはご自分でお考えになったのですか」と聞くと、「本社の企画室で計画し、全体のイメージをもらったのです」と言っていた。今、“工夫”、要するに“知恵”をどう出すかという時代になってきているから、その“知恵”を生み出す基礎学力だ。基礎の上に知恵が花開く確率が当然高いからだ。採用もそうであろう。そして今花き業界で必要なのは研修である。勉強会に行くことも重要であろう。また社内で研修することもとても大切だと思う。とある大手商社だが、バブル崩壊後、義理の弟が休みのたびに研修をしていた意味がようやくわかった。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年7月 2日

“Unbowed”へこたれない

第一四半期が終わった。切花では昨年と全く反対の展開、今年は4月が良く、母の日前から値崩れが始まり、6月は住民税の支払いなどもあり特に店売りが不振。鉢物は出荷量が底を打ち、都心部を中心に家具やペットとしての新しい鉢物の需要も見え、単価がじわじわ上がる気配となった。総じて6月は15%近く売り上げを落としているところが多く、第一四半期で10?5%近くマイナスのところが多いようだ。需要はこのような形で縮小均衡化しており、例えばこの6月に大田市場で行なったフェアの中でトロピカルフェアは久々のヒットだった。このように需要を的確に捉えて、「あなたたちが欲しいものはこれですか?」と具体的に提案しないと消費に繋がらない。このような状況になってきている。一般消費者を巻き込んだ展開は以上の通りだが、業者同士の取引では新商品に付ける名前も重要になってきている。これも昔とは違い、消費者に受け入れられるものでないといけないので、例えば草花ではライステリアのように、このテリアという言葉を単語の語尾に使われているので、言葉の響きからセンスの良さを表したり、覚えてもらいやすくなったりしている。

この時代を反映した売り方のうち、減農薬や無農薬などの安全・安心の運動が県指定でエコファーマーの表示をしたり、GAPやMPSの認証準備中などの表示をしたりしているが、このように考えるべきではないかと私は思っている。世界は単一経済になり、同じ経済価値で世界中の人たちが動いている。経済システムでいうと、世界経済システムがメインストリームで、その下に個別のその国の経済システムがあるという風だ。私はワンガリ・マータイさん(ケニアでグリーンベルト植林をしたことによりノーベル平和賞受賞)の“unbowed”を読んで、彼女がノーベル平和賞を受賞したのは、平和活動、持続的な資源管理の必要性、良い統治、この3つに向けて努力することが多国籍企業に対して世界経済が単一化した中で大変必要なことであり、ケニアで地道にグリーンベルト活動をしてきたマータイさんがこの3つの要件を満たしていたので、新しい時代を体現している人としてノーベル平和賞受賞者に選ばれたのだろうと思う。

1985年のベルリン会議で先進国が自分の領地を地図の上で線引きした。そこから国が部族を考慮することなくできてしまった、それがアフリカの国々だ。その中にあってケニアのマータイさんが毎日新聞の招きで来日、「もったいない」や「風呂敷」を世界に広めてくれている。先進国の7億人の消費者はグリーン購買やフェアバイイングなどの諸活動を日頃の消費活動の中で行い、大きな単一国家としての地球を意識した消費活動をしている。こうなるとその国独自の環境保全システムは例えばエコファーマーなどは現段階では良いと思うが、これはサブシステムである。メインの環境保全システムは花の場合、世界に通用しているMPSを使うことが日本の生産者として正しい選択であるというのが私の考えだ。世界基準になっている*EUREP GAPをどのように日本流に焼き直すかがMPSを使うことになるのではないか。世界の消費者の団体であるコーデックスがいくつかの検証を重ねてそう言っている以上、すすんでそれを受け入れるべきだと思われる。
それにしてもワンガリ・マータイさんの笑顔、67歳だというのにこんなに透き通った笑顔の人は初めてお目にかかった。すごい笑顔の力を持っている人であった。“unbowed”の出版記念パーティーのときそう思った。

*EUREP GAP・・・Euro-Retailer Produce Working Group Good Agricultural Practices(適正農業規範)

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年6月25日

需給バランスに対応する取引 ?何事もバランスが大切だ?

オランダ最大の卸会社であるダッチフラワーグループの一つ、インターグリーンは花束加工会社として世界で最も優れた会社だと言われている。
輸入品の比率が高くなりはじめた20世紀後半から、自社の品質水準も考慮し、地元ウェストランド地域で花き栽培をして欲しいという郷土愛で、花束用の多くの花をウェストランドの花市場のメンバーに生産をお願いしている。インターグリーンの場合、花保ち、鮮度保持を重視して、かなり生産現場まで踏み込んで仕事をしている。そして更に花束の美しさなどの商品性を追求している。結果、その商品が圧倒的な競争力をヨーロッパでは持つようになり、おいそれとヨーロッパの大手スーパーはインターグリーンとの取引をやめようとしない。とにかく取引量が安定しているのだ。インターグリーンが取引先のスーパーに来店される花のお客様の為に尽くそうとする姿勢には本当に頭が下がる思いがする。
近年、EUは景気がまあまあ良いが競争は一段と激しさを増し、それは花売場でも同様である。だから「売れたら発注する」こういう間際発注になってきている。とある大手スーパーはインターグリーンに前日発注するという。インターグリーンのリスクは大変なものだ。しかもインターグリーンは花の調達には予約相対が多いから、この需要の増減をどうするか。店頭の需要はアコーディオンみたいになっている。花は物日の度に需要が高まり、それが終わると急に小さくなる。
例えば中央ヨーロッパ、ハンガリーやルーマニアなどは今、40度近い猛暑である。花の需要が極端に減っている。こういう変化にどう対処すれば良いのか。「売るに天候、作るに天候」これが花の特性だから、いつも決まった量がサプライチェーンを流れる訳ではない。その為、スーパーなどの大口需要家は、花加工業者だけでなくウェストランドの市場そのものにも安定供給の責任を負ってもらっている。卸売市場が備えとなっている訳だ。

日本では、せり取引から相対取引へ。生産者も委託だけでなく値決め・予約相対というふうに安定した取引を望む声が高い。それは消費者が、より気分に任せて花を買うようになった裏返しではないか。潤沢に花が供給されるようになり、消費者はある意味贅沢になってきた。日本の需要の変動は大きくなっているのだ。
インターグリーンはPDCA(plan?do?check?action)のサイクルでここまで進んで来た。しかし地球温暖化で気温が大きく振れ、グローバリゼーションでどこの国も低所得者の数が増えている。こういう中でイベント、物日を増やし、花は消費拡大を図っているが、好みの変化、天候の変化が激しく、そして早くなってきており、これに応える為にはやはりアドリブに近い、間際の取引に近いせり取引なしには考えられないというのは、今のオランダの現況だそうだ。日本でもその傾向は見え始まっている。

投稿者 磯村信夫 : 16:00

2007年6月11日

次につなぐ

生産者にしても花の小売店にしても、後継者問題は花き業界全体の重要問題である。戦中派や団塊の世代に生まれた人たちは当然、長男であれば親の後を継ぐものだとして後を継ぎ、現在花き業界を盛り立てている。しかし後継者のことになるとこのようなことが今起きている。いずれも社長は戦中派と団塊の世代の人で、65歳になったら働きたくないのだろう。

「私の代で前の仕事に加え、花店とチェーン店のコーヒー屋もやっているのです。花店で都合3店舗、全部で小売を5店舗やっているのですが、そろそろリタイヤをしようと思いましてね、息子は違う仕事していて後を継がないといいますし、どうでしょう誰か良い人がいたら紹介して下さい。」

とある仲卸の社長は、「大学時代の友人は定年の時期になった。大田市場が開場して15年、自分なりに一生懸命やって来たし、ご覧のとおり不良債権もない。だから社長、誰かここをやってくれる人いませんかね?自分は大学時代の友人と同じように一度リタイヤして、違った人生を歩んでいきたいと思うのです。」

とある駅前立地で土地をそのスーパーマーケットに貸しているいい角店の花店の社長は、「一億以上売ってやろうと頑張ってやってきました。でも60以上にもなって、女房にも楽をさせたいし、子どもは女ばかりで嫁いで幸せにやっているし、誰かここの後をきちんとやってくれる人はいませんかね?」

小売店2店と仲卸、この3社はいずれも繁盛店で、後継者探しをというより、リタイヤを考えて会社を売りたい、こういう考えの経営者が花の流通業に出てきたわけだ。とある仲卸は後継者がいない花店をチェーン化して準社員として使い、一部固定給、一部歩合給にして品物は自分のところから取ってもらう、そういうフランチャイズチェーン、フランチャイズというよりそれぞれの店は同じ看板を掲げただけで統一化されていないから、ボランタリーチェーンの本部のような役割を担っている仲卸に変わっているところもある。日本の世の中全体がサラリーマン化してきたといえばそういうことなのかもしれないが、しかし花の小売業界の中には、このようなことがかなり起きているのではないか。とすると、卸としてこの花店の後継者づくりや新しいやる気のある若者に店を買ってもらうことなど、なんらかのお手伝いをすべきではないか。花店の数が少なくなることは決して花き業界にとって良いことではない。


このようなことは当然産地においても起こっている。千葉の千倉や白浜などはお父さんが働きに行っている、お母さんがパートアルバイト感覚で花を作っている。こういった房州の「お母ちゃんの伝統」があったわけだが、それも団塊の世代まで、少なくても40歳代の奥様は花つくりを選ばず、館山にパートに行く。その方が安気だという。それだから生産量が急速に減ってしまっているのである。日本中各所でこういった現況があり、我々は後継ぎがしっかりいる地域へ足しげく通わざるを得ない状況になっている。生涯現役、それが農業の良さでもあるが、しかし嗜好性が高い消費財としての花、これをやってもらうにはどうしても時代に先がけた美意識が必要だ。大田花きにいる限り、毎年5名以上の後継者を研修生として預かり、いっしょに現場作業をしているので、あたかも後継者問題はないと感じてしまうが、実際産地に行ってみると団塊の世代のその次、ここがあまりにも少ないのに唖然とする。小売流通業界にしても、花き生産業界にしても、花の卸売会社として本腰を入れて後継者つくりの手伝いをしなければならないと決心した次第である。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年6月 4日

“コト”を売らなきゃ“モノ”が売れないのが花

6月1日(金)11時からジャパンフラワーフェスティバルin埼玉スーパーアリーナでのショーが一般公開された。展示会が開催されたわけではなく、ショーが行なわれたのだ。入場するのに1時間、午後1時以降は入場制限も行なった。多彩な催しや展示、そして何よりも埼玉の各市がオリジナルの緑の豊かさを田園都市としてアピールした展示が見物であった。即売品も飛ぶように売れ、2週間前に所沢で行なわれたバラのフェスティバル同様、本当に花もよく売れていた。日曜日には銀座の松屋でのマミフラワーのデザイン展を見に行った。いくつもの新しい切り口でデザインされていた。なるほど床の間もこのようにすれば今日的だな。手前だけ明いた鏡の四角の箱にデザインされた花を飾る楽しさなど、新しい視点でフラワーデザインを見ることができたのは悦びであった。作品ももちろんであったが、ここでも会場出口で売られていたモノはよく売れていた。

ブランドが売れるのは、その物語性と弛みないカイゼン、新しい驚きが我々の期待を裏切らないからだ。花き業界はそうなると、老舗であること、あるいはブランドというのを種苗から川中、川下までの各業者はとても大切にしなければならない。そしてもう一つ、“モノ”である花を買っていただくためには、“コト”ストーリー性、サプライズなどを必ず伝えていかなければならない。そうでないと花は売れないのである。売るための努力をますますしていく必要がある。小さなイベントでも良い。こだわっていることを瓦版でお客様に届けても良いし、POPで書き込んでも良い。“コト”にこだわって、自分が取扱っている“モノ”の良さをお客様にわかってもらおう、これは何も小売店だけのことではない。卸も仲卸も生産者も種苗会社も花を売るには“コト”を行なう。この癖を早くつけたほうが勝ちというのが現代である。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年5月28日

生産委託

WTOやFTAなどで日本農業の国際競争力が何かと話題になっている。戦後の農地解放と政治の55年体制、官主導型の国家運営など冷戦構造の中でベストに近いパフォーマンスを日本は国内外で示してきたが、89年ベルリンの壁崩壊以後のグローバリゼーションの中、国内の家族を中心にする産業、すなわち農業と小売業、あるいは問屋業や運送業などがいずれも立ち行かなくなってきた。95年以降、日本の農業を国際競争力あるものにしようと6兆円あまりの国費がつぎ込まれた。商店街が大型店に負けないようにと4兆円あまりの国費がつぎ込まれた。しかし、当事者たちの意識やビジネスの仕組み、あるいは一人で出来ないのなら何人かでそれを成すという組織を新しい状況にフィットするように変えたわけではなかったのだ。それを知ってか知らずか、アジア諸国とのFTAやEPAについても締結した相手は日本の農産物について対応措置に失望の念を隠そうとしないし、WTOにおいてはアメリカ、EU、ブラジル、インドのイニシアチブに日本は蚊帳の外にされている。しかしあらゆることはこれまでベストを尽くしてきて今があるから、今後どうするのかそれを考え、実行すればよい。花はWTO下ですでに関税ゼロ。国際競争力はあるが、しかしさらに良いもの安く、消費者がまだ見たこともない花を開発し供給する。この二つを同時に行なっていく必要がある。この二つの逆は消費者がよく知っている花を、手を入れてよいもの作ったから高く買ってくれ、少なくても適切な価格で買ってくれということだ。こう要求することは「そういう時代もあったな」で消費者からすでに見放されている。もう物日のたびに単価が高くなるということは考えてはならない。消費者が必要なときになると花の値段が上がることなぞ許されてよいのだろうか。日本の生産者はコストダウンをすることによって利益を生み出すという当たり前の努力を怠ってきた。これは生産者だけでなく中間流通業者も小売業も売上高ばかりをついこのあいだまで追ってきた。しかし大切なのは利益であり現金、キャッシュである。それが今である。そして同様に大切なのが多様化ダイバーシティー、多彩な花を作りこなす日本の花作りの“技”だ。需要を先取りし、消費者の目に新鮮に映るものを出し続けること、これにより付加価値の高い他の生産国家が見習うべき手本となる農業が展開されるのである。

現状は今申し上げた変化への移行途中であるので、誰もが知る当たり前の花は単価が下がっている。収益が少なくなって温室の償却がまだ済んでいない生産者は赤字決算のところが多い。何を作ったらいいかというナレッジや種苗の手配をしてくれたらもっと花を作りたいと言う農業者は潜在的にかなりいると見ている。グローバリゼーションで足腰の強い花作りになってもらうため、大田花きはお話があれば生産委託に積極的に取り組んでいきたいと考えている。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年5月21日

グローバリゼーションで余儀なくされる自由化だが・・・

協会や組合の総会、あるいは3月決算の非公開会社の株主総会などがつづいて行なわれる時期となってきた。グローバル企業が国籍を問わず過去最高の利益を出す中で、小企業や零細企業、それらの企業で構成される協会や組合はどのようにグローバリゼーションの中で今後生き残っていくか、生き残り策が事業計画の課題となっている。

今までのやり方ではもう無理だというのは減益の結果でよくわかる。だから徹底的にリストラせざるを得ない。すでに花き業界でも事業縮小や支店をたたむなどをした生産や小売の業者は多く、卸や仲卸もそこまで行なわれていなかったものの、昨年から取り組み始め、さらに本年度加速させようというのだ。

日本はこの10年で中産階級が壊れたと言われているが、花き業界では川中の卸や仲卸を見る限り、それも外面的な話で彼らの乗っている乗用車から判断する限り、厳しいリストラがあったとは言えないだろう。しかしそんなには世の中甘くないので、当然川中の花き業者もリストラを徹底させていくだろう。そのリストラの一つの手法は物流ABC(Activity Based Costing)である。現在、社団法人日本花き卸売市場協会ではABCを会員各社で自ら取り組めるよう、標準値の設定や研修会を予定している。コストを落とすだけでは未来を作っているとは言えない。売上を作れる作業をしなければならない。どうやって売上を作っていくのか、何を買ってもらうのかであるが、私ども大田花きはすでに花以外にも特定の知識やノウハウ、あるいは各種代行サービスを買っていただき、大切な収益基盤に育ちつつある。今までは花の取引所としてのビジネスだけであったが、買付が自由化され商社的なビジネスも行なえるようになり、さらに代行業のサービスや特に付加価値の高いサービスをも商品化できるようになった。今後のアジア・太平洋自由貿易圏を考えたとき、花き卸売市場が普通のビジネスになっていくことは当然なことである。特別な知識が必要だったり、ノウハウが必要だったりすることはあっても、特殊な業界であっていいはずはないからである。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年4月30日

小料理屋の要素と八百屋の要素

新丸ビルの1階、北側の出入り口のところにリベルテさんが出店をした。新丸ビル自体がオシャレなファッションスポットだから、今後の事業展開が期待される。
丸の内を土・日も人が出る場所にしたいと三菱地所は考えているようで、中央通りは花のイベントを年に何回か行い、歩道もゆったりしているから本当に楽しい場所になっている。

ここで気付く点は、この街はコンビニを除き、すべて専門店だという点だ。花の専門店には、小料理屋の要素と八百屋の要素の二つが必要だ。料理を作って出来合いの食事を買ってもらうように、花束やアレンジメントを作って販売するこの傾向が東京では多い。そして、丸の内の場所では付加価値を高めた小料理屋の要素が多いのはやむを得ないことであろう。しかし、もっとターミナル駅とか民家のそばの商業地で、気さくなところであればある程、八百屋的要素、すなわち素材売りの要素が強い、それを前面に押し出した花店が必要だ。そして店の一部に「うちの料理の味はこれですよ」と出来合いの料理を販売する、そういった花店が必要だ。小料理屋的要素と八百屋的要素、これを路面店では持つ必要がある。

路面店以外にも当然、ガーデンセンターやスーパーマーケット、ホームセンター、この頃は生鮮コンビニ、カタログ販売や、インターネット販売など消費者にとって花や緑を販売するそれぞれのチャンネルが必要である。どれがよくてどれが悪いというわけではなく、その都度その都度、目的に応じて消費者は使い分けている。本年の母の日は、昨年に続きゴールデンウィークから離れた母の日だから、インターネットと路面店が最も大きな花の需要を取り込むのではないかと予測される。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年4月16日

定点観測追加探し

天気が良いと、散歩をしていて時が経つのを忘れる。土曜日の夕方、湯島天神で待ち合わせをしていたが、藤が見頃で思わず見とれてしまった。ちょっと風が強かったけれど、何かほのかな香りがするなと思っていたら、今にして思えば藤の香りであった。それに気付いたのは、昨日国立科学博物館の特別展示“FLOWER 人はどうして花をきれいだと思うんだろう”の展示物の中に藤の香りがあり、嗅いでみたら確かに昨日湯島天神で漂っていた香りだということがわかった。恥ずかしながら藤が良い香りを出す植物だとは思ってもいなかったので新しい発見に感動した。

花の今を見ようといくつか定点観測をしているが、その場所を変えようと思い、昨日この東京湾湾岸地域の高層マンション群を目星をつけてまわった。しかし地価が高いせいか思ったように観測対象となる花店が見つからなかった。新しくできたスーパーマーケットなどにないかと見てみても、きっと入居が決まるその時期、スーパーの売り上げは右肩下がりだったので、スーパーそのものがない。豊洲のように、ショッピングセンターやスーパー、ホームセンターまである場所が例外である。残念ながら計画通り探せなかったので、最寄りの駅の近辺で見つけざるを得ない。新浦安やディズニーランドの舞浜、そこからもっと千葉よりのところには花店があるが、僕が加えたいのは都心に近い湾岸の超高層マンション群を相手にしようとしている花店だ。六本木ミッドタウンには、クリスチャントルチュ、ニコライバーグマンが入り、技にしのぎを削っている。でも羽田から東京駅にかけて、超高層マンションが建っているが、この花店が見当たらない。人は自然から離れ、幸せだと実感することが少なくなってきている。自然から離れているので、あらゆる消費が不満をなくしていくために使われることが多い。お金は不満を少なくするのには役立つが、どのくらい幸せを実感させてくれるであろうか。美しく身を飾るということもそうである。だから鉢物類はどういう鉢が必要かよくわかる。“アウトサイドイン”がキーワードだ。外の自然を中に入れる。もみじの木などはいい例だ。オリーブもそのような使い方をしている。あとの観葉植物などはこの流れとは逆に、一般の人には造花に見間違うようなものが売れ筋だ。では、切り花はというと、一般の人たちから「これ本物ですか」と言われるような花や取り合わせ、それは超高層マンションには合うだろう。でもそれ以外はというと、そこがわからない。家具はもうすでにシャープな中にも日本人らしさのあるものになってきている。その家具に合った花はどういうものか。高層マンションに住む人たちはどのようなライフスタイルで、どのようなスタイルの花を好むのか。それらを提案している花店を私は探してゆく。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

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