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2005年4月25日

伝統の上にこそ花開く

昨日は良い天気だったので、朝早く旧東海道を歩いて、お台場のスポーツクラブに行った。旧東海道は大森から品川まで昔と変わらぬ道幅で、品川までの山側はお寺が多いことで知られている。商店街は京浜急行線の駅に沿って構成されているが、品川までの花の小売店の多くは、お寺が多いこともあって仏花を中心に家庭需要向けの品揃えをしている。独特の味わいがあるこの辺りの店は、伝統的な花店と言えるだろう。旧東海道の、かつて海だったところに東品川や天王洲アイル、お台場などの新しい街ができたが、そこの花屋さんは都心の有名店が出店している。昨日のように、外に出たくなる陽気だと新しくできたショッピングセンターなどはよく賑わっていたが、地元商店街型のところは閑散としていた。ショッピングセンターのように多くの人が出入りするところは母の日需要で結構忙しそうだった。お台場の後、新橋から日本橋まで、特にデパートに入っている花屋さんを見て歩いたが、昼頃からカウンターで母の日ギフトの予約をする人たちが必ずいて、場所によっては2列に列を作って並んでいた。

話は横道に反れるが、自由の女神がある台場から、大森、大井、そして江東区をぐるっと見ると、東京タワーが目立たなくなってきていることが分かる。特にレインボーブリッジが見えるようにと高層マンションを建設しているのだろう。あれだけ高層マンションが建って本当に部屋が埋まるのか、余ったらどうするのか、ディスカウントはするのかと余計なことを考えてしまうが、台場から見る都心部の眺めは豊かな国を象徴するさすが日本という光景だ。

日本橋の高島屋でこの26日まで池坊展を開催している。日本中から見学者が訪れていて、第45代専永家元が1999年に21世紀の池坊流の新しい活け方である「立花新風体」を加えてそれを大々的に展示紹介した。凄い人気で、私も見に行って大変感動したし、勉強になったが、会場に足を運ばれた皆さんもまさにそのようであった。小泉総理もお越しになったとのことで、花に携わる仕事をしている者にとって池坊の存在は本当にありがたいし、日本の花き産業は生け花や庭をもう一度勉強し直すことをしていかなければならないと深く感じた。

先週の小欄で、私の子供に日本の古典芸能を教えたことを書いたが、それは教養のこと。今回は生け花を学ぶという仕事に直結することだ。お金を頂くのだから当然学んでおかなければならない。作品に感動しながらこのように強く感じた。

投稿者 磯村信夫 : 18:33

2005年4月11日

伝統文化

昨日、息子のたっての要望で、歌舞伎と寄席を一緒に観に行った。結婚25周年のとき、京都の料亭で舞妓さんを見た娘と息子は日本の伝統に触れ、その衝撃たるや大変なものであった。そのあと、京都から倉敷へ行ったが、その街のたたずまいにはびっくりしていた。大原美術館のブラックの抽象画や後期印象派の絵などは美術好きの子供たちだったから、感激したのは当然であったが、その感激は彼ら日本の若者の教養の中にある。

息子夫婦はアメリカに行くことが決まり、今荷造りをしているが、その前に外国に行ったら日本人はそれぞれ日本を代表するようになるから、歌舞伎や文楽、落語や能などをにわか勉強でもいいからしておきたいというので連れて行ったわけだ。今、中村屋の襲名披露が歌舞伎座であり、4階の立ち見で昼の一幕目だけを私の解説付きで観た。私は見慣れているから役者のセリフも、義太夫が語る言葉もすっかりわかるが、子供たちはわからなかったらしい。そこでプログラムを買って、粗筋を読んでもらい、成駒屋(なりこまや)は誰で、成田屋は誰、勘三郎はなぜ中村屋なのかなど、周囲の人の邪魔にならないよう小声で教えた。好きになるのが目的ではないが、向学心を持っていたので鈴本に場所を変えて、ビールを飲みながら今度は落語の高座を聞いていた。こちらのほうが当世風だ。

ここに我々の仕事の国際化のポイントがある。国際化すればするほど、日本人のアイデンティティを意識しなければならない。領土問題から歴史教科書問題、その地で営業する日本企業や大使館が投石による被害を受けるなど、国際化は絶えず私たちに日本人であることを意識させる。SARSやBSEなど、グローバリゼーションは一旦トラブルが発生したとき、パラドキシカルに国境(国)を意識させる。

日本の花き産業においてもフラワーデザインも大切だが、その前に生け花や仏花が大切だ。ここを体得せずして何故日本の花き業界が世界と伍していけるだろうか。庭や盆栽も言うまでもない。

昨日息子夫婦に世間のしがらみと義理と人情、そして無私の精神、これが大衆文化の歌舞伎や古典落語の人気の基本であることを伝えたが、日本人だからこの辺りの価値観はすんなり受け入れていた。にわか勉強でどこまでできるかわからないが、誠実で心優しいことがこの国の性分だから、にわか勉強の中で身に付けたものを更に勉強してもらえばそれですむ。これは花の世界でも同じことだ。

投稿者 磯村信夫 : 18:36

2005年4月 4日

国内生産量は暫く横這いだが・・・

 青果物の市況にみずみずしさが戻ってきた。思えば95年くらいから輸入の果物・野菜に泣かされて、バブル崩壊と単価安で良い物が売れなくなり、市況にメリハリがつかない状態が長らく続いていた。それが量販店も既存店の前年の売上げを維持するのは苦しいが、食品スーパーで生き残りをかけるとの方針から青果物全体の相場にメリハリがつき、良い物とそうでないもの、量が少なくなると相場が跳ねるという状況になってきた。一方、花は今までの青果の市況と同様、なんとなく重たい感がある。切花は青果物同様、市場外流通から市場流通に戻ってきている。鉢物・苗物は下げ止まったといえども、未だ出荷者は市場外流通を志向している。花き類は総じて生き生きとした相場展開がなされているとは言い難い。唯一切花の中では最も先に単価が下落したキク類は青果物と同じタイミングでメリハリの効いた相場展開となってきている。2002年の底からここのところにきて反転してきている。今年の花き生産は総じて前年を下回る。大きな要因は花を作る意欲の減退だ。お金が取れなかったのである。ここ暫くは青果物に転作する人が出てくるだろう。本年を入れて2007年までのこのような傾向ではなかろうか。

 このように書くと、花の生産者は皆元気がなさそうに思う方がいらっしゃるかもしれないが、利益を伸ばしている人もいるし、花以外は作る気がないと自認している人たちも多い。その人たちのご子息を今年も研修生として3人お預かりした。つくづく思うことは3年前まではサラリーマンのお子さん、即ち新入社員の方が社会人としての覚悟ができていた。多分家を継ぐことで甘やかされていたとは言わないまでも、やはり農家のご子弟はどこか甘いところがあった。それが昨年くらいからまず精神が鍛えられていて、素晴らしい。そのような農家のご子弟が大変多い。彼らを見ていると日本の農業の未来は明るいと思える。こつこつと努力を積み重ねる。そして、上司の視点で仕事を見て、自分のやるべきことを決めている。日本の農業がどうあるべきかを考えている。自分の地域はその中で何をすべきかを考えている。とりわけ3年前と違っている点は、コストとロジスティックを絶えず考えて良い品物を作るだけではだめだ。良くて、安くて、タイミングも良い。これが花き業界の目指すところだと問題意識を持って仕事をしている点だ。社内で行っているアクティビティ・ベイスド・コスティング(ABC)は社員にとっても研修生にとっても目からうろこの一瞬だ。これを身に付けることによって合理的な行動をしようと心がける。このようにして、研修生の諸君は3年後に大田花きを卒業し、その地域の未来を担う一員になっていく。サプライチェーンの中で、個々の役割を考える。こうした考え方を持つ人たちが徐々にだが増えている。良くて、安くて、早い。これを目指すのは花き業界とてなんら他の産業と変わらない。この卵たちが育ってきている。

投稿者 磯村信夫 : 18:36

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