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2007年8月27日

これから不作が少し続く

実質今日から花き業界の秋が始まる。今年の秋はどうだろうかと今朝荷をチェックしたが、思いの外、暑さ焼けして花が良くない。本当の野生のホップなど焦げているものも入荷している。この分で行くと、残念ながら彼岸くらいまでは上物が不足するのではないか。トルコギキョウのように例年の品質を確保できている品目は数えるほどで、小売店の苦労の程がしのばれる。中国産のカーネーションをチェックしていたら、雲南、四川と今年大雨で、畑によっては水没したところもあり、出荷者によって質のばらつきが大きい。もうすぐ9月だというのに品質チェックをきちんとしなければならない。昨年の冬、史上初めて凍ってしまったコロンビア産はこの秋は安定している。また、数量では圧倒的に多い国産品も6、7月の曇天とその後の猛暑で例年の品質が確保できていないが、山間部や北海道を中心に品質が上がってきている。ダイアンサス類は暑くても品質は劣化しないから比べてみると本当に良い品が多い。暑さに弱いカーネーションはこのような状況で、この分では今年の秋は目利きかどうかによって各社の商売に優劣ができそうな状況である。

さて先週の25日、第17回大田バラ会議が大田市場のアーバンホテルで開催された。130名あまりの人たちが熱心に夕方まで勉強していただいた。小生は挨拶の中で、成長とは若さであることを認識し若い血を入れたり、それが適わない場合は若い心を持ってして生産をしていってほしい。またプロの花作りとして儲かる少量多品種生産をしてほしいとお話した。大田花きにご出荷いただいている方のみだが、「在宅セリの見るだけ会員」を募集するので、気配情報を欲しい人はぜひとも参加してほしい旨を申し上げた。

現実を知って未来を先取りするのが花作り。このレベルの領域で花を生産し、装飾するのが日本の生産者と小売店。今何をすれば良いのか分かってきたので、それを実行に移すのが花の実業者だ。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年8月20日

もう一つの特攻隊

お盆が終わり、今年の終戦の日も過ぎた。盆の前後に藤原正彦氏の「日本人の矜持―九人との対話」を読んでいて、そのうちの一人である五木寛之氏との対話の中で五木氏が「その女性は言わば特攻隊員ですから。自分から飛行機に乗って死んでいった若い人たちの話にも感動しますが、嫌がるのを無理やり周囲から押し出され、泣き泣き出て行った人々も特攻隊員。・・・」と話している箇所に出会った。僕の記憶の中の女性たちはそうだ「特攻隊員」であったのだ。僕はようやくどう彼女たちを鎮魂すればよいか、どう感謝すればよいか、その方向性を見出すことができた。これで東の方へ向かい大森駅から素直に手を合わせることができる。

僕の知っていることはこのようなことだ。大田花きの前身の卸会社のうちの一つ、大森園芸は1932年(昭和7年)5月2日、大森駅の海岸口のところに日本で初めての植物市場として営業を始めた。今、駅ビルや東急インが建っている線路際である。終戦後、駅前開発のため代替地を環状七号線のそば入新井3丁目、現在大森北5丁目にもらったわけだが、ずっと長い間大森駅と一緒に歩んできたのが大森園芸だった。会社に入ってそのルーツを調べていったとき、一枚の写真に出会った。それは今平和島の競艇場があるところが人口島のまさに平和島で、大東亜戦争の捕虜を収容するプリズンだった写真だ。戦後、進駐軍にA級戦犯として捕らえられた日本人も収容された平和島の写真だ。その写真は第一京浜から撮られている。もうあと二枚の写真があって、その写真は第一京浜に沿って海際に建っている澤田屋、小町園、悟空林など大きな料亭のところからずっと列をなして並んでいる米軍たちの長い列だ。最後の三枚目の写真は、その列の最後尾がなんと大森駅のところだったことを伝えていた。この列は何かというと、進駐軍に一般の婦女子が襲われないようにと、もう一つの女性特攻隊を募り、義勇軍として戦争で夫をなくした未亡人などを公募し、大森海岸のこの料亭街で性欲のはけ口とさせたのだ。もう随分前のことだが、何でこんなところに長蛇の列の写真があるのか分からなかったが、選挙で入新井第一小学校に入ったら同じ光景と思われる写真があった。言葉では言い尽くせないが、このようなことを経て我々は今がある。7年前、母が住む池上の家を建て替えたとき、僕や妹の古着やおもちゃが出てきた。母が言った。「こんなに平和が続くなんて思わなかったわ。」台湾からの引揚者である母は今でも現実の中に美しさを見出すことを信条として生きている。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年8月13日

多品種少量栽培

8月11日(土)地震のあった柏崎で今年も花市が開かれたと新聞で知ってホッとした。父方の両親も母方の両親もいずれも新潟出身なので、昔の新潟のことは普通の人よりよく知っている。柏崎の花市は江戸時代より続き、今年も菊や小菊、アスターやグラジオラスなど盆特有のミソハギやガマ、柿や栗などと一緒に飛ぶように売れていたらしい。

“前進開花に高値なし”の法則通り、8月の盆は昨年の1?2割安で推移した。加工業者は2日ほど早く手当てをするが、昔のようにそんなに前から品物を仕入れてはクーラーから出したとき鮮度が落ちてしまい、店頭での日持ちと消費者へ行ってからの日持ちが悪くなってしまう。したがって買参人は物日のときも直前間際買いで、今年の場合昔通り10日(金)の仕入で、8日(水)も若干仕入れようかというところである。

秋の彼岸の契約や仕入れの参考にしてほしいが、前進開花はストックしておかないとならないため、その分場所や冷蔵庫代、水揚げ代などコストがかかる。だから当然間際より価格は安いとした方がいい。アメリカの例なら、契約に合わせてもちろん出荷するのだが、コロンビアやエクアドルの産地は若干だが遅れ気味に作る。そして納期に切り前からするとやや固めで追っていく。物日のときは全体が固めで行くから採花やそのあとの出荷箱詰作業でも生産性が上がる。作業中の傷みはもちろんかなり抑えられる。そして契約通り出荷が終わったらクレーム対処分の枠を残して残りは捨てる。だいたい万が一のために、最低でも1割余分に作っておくから、1割程度捨てることになる。日本の産地も花は生き物だから物日に合わせて、固めに出荷できるよう日頃より少し後ろにずらして作付けをすべきだ。そうしていくと質と価格が見合って、消費者やお取引先から「来年もまた頼む」と言われる生産者になることができる。ここの納品技術を持ってもらえると本当にありがたい。

あともう一つ、今週はお話したいことがある。同じく8月11日(土)の日本経済新聞の記事のことだ。『国産切り花 多品種少量栽培に活路』という記事である。利益を出しやすいのは、少品種多量栽培で、スケールメリットで売っていくこと。これは誰でも分かる。しかし、輸入品と競合する分野だ。一輪菊の神馬のようにパテントがなくなった品種を国内も海外も作っているわけだから、仕事の三原則、“質・価格・納期”の勝負となっている。仕事屋さんに好まれる白菊の品種を国内主力産地が共同で開発していくことが望まれる。開発して仕事屋さんに使ってもらわなければならない。

さて、11日のこの日本経済新聞の記事はまさに多品種少量という日本の花き生産の特性をよく調査し、記事にまとめたものだ。国産切り花は多品種少量生産を現在行なっているし、これからももっと儲かる多品種少量生産を行なうべきである。ガーベラのように同一作物で多品種少量というのもあれば、いろいろな花を作って1年間出荷しつづけるというのもある。関東の近辺では千葉県がなぜ魅力があるかといえば、房州の長い伝統の中でこの夏はクルクマやタマスダレやトウガラシ、これから秋にかけては・・・、というふうに草花を周年まわしている。まさに輸入されにくいものを選んで作っているようだ。海外と競合する菊、バラ、カーネーション、ラン、ハモノを生産している国内生産者と、それ以外の鉢物まで含めたものを生産している生産者と、今後の戦いの土俵の設定具合が変わってくるのだ。ここをよく日本経済新聞の記事は捉えており、大変勉強になった。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年8月 6日

都市化とシングル世代

日本でも三大都市に人口の半分が住むようになったという。東京の街は高層マンションも多くでき、また私のいる大森もマンションがどんどん建っている。人口の都市集中は世界の習いで、世界中であえて集中させないようにしている国はドイツ連邦くらいではないだろうか。他は都会に人口が集中し、発展途上国でも都市部に人が溢れ返っている。もう一つの近頃の傾向はどこの国でも一世帯あたりの人間が少なくなってきていることだ。先進国では2人前後が多い。それはオーストラリアや北米のように土地の広いところでもそうで、かつては1家族5?6人、それがまるっきり夫婦単位やら1人単位へと移行しているのだ。東京なら2LDKやワンルームマンションのような集合住宅ならわかるが、土地に余裕があり、一般の人が一戸建て住宅を買うことができるカナダでもオーストラリアでもそうなので私はそれを知って唖然とした。

都市部に核家族やらシングルが多い世の中になっている。こうなったときどのような花を開発すればより喜んでもらえるか、どのような鉢物やフラワーアレンジメントをギフトに使ってもらえるか、そのような議論を社内でしていたときにこの2つの条件が浮かび上がってきた。

お父さん、お母さんはどれくらい子どもに庭いじりやフラワーアレンジメントを教えてくれただろうか。お誕生日やちょっとしたお呼ばれのとき、ホストに心理的負担にならないくらいの花束やデザート、あるいはワインを持っていく礼儀を教えてくれただろうか。あまり期待せず、子どもに教えていないとして、我々は花のプロモーション活動をしなければならないのではないかと思った。この2つの条件はいずれも固有の文化や家の慣わしが伝承されていないことを意味する。このような状況のもとでどんな花を開発するかは皆様の夏の宿題としてお考えいただければ幸いです。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

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