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2006年5月29日

精神的晴耕雨読

 埼玉県比企郡からサンザシの切枝出荷が本格化してきた。サンザシはワーズワースの詩にあるように、まさにヨーロッパ人にとって、日本人の桜のような花だ。キリスト教が普及し、神々がアイルランドとスカンジナビアに追いやられたが、人々の心には畏敬の念が波打っており、それがサンザシの花に結びついている。クリスマスのときのヤドリギと同様、サンザシはヨーロッパのシンボリックな花で、本格的な春を告げる花だ。
 ここのところの荷物の少なさは、日照量不足と判断している人がほとんどだ。もちろんそうだが、構造的に国内生産が減ってきていることも解ってもらわなければならない。寂しい話しだが、小売店にも消費者にも解ってもらう必要がある。
 ここ10年で、年収600万円?800万円のかつての中産階級といわれたサラリーマンたちは稼ぎを下げ、600万円?300万円で約4割、300万円未満で約4割となった。だから生鮮食料品・花きは一段の価格安を望まれていると食品卸は言う。食品スーパーの売上げが振るわないのは日本の人口が少なくなりはじめたのと、食のライフスタイルが変わってきたのと、この2点を主な原因にあげている。もちろん内外価格差の問題もある。プロの業者はこう言っているが、近頃、新聞やテレビでは、農業に団塊の世代が参入してほしいと企業の農業参入事例を取り上げたり、家庭菜園を取り上げたりしている。企業の農業参入、植物工場化などの記事を読んで、確かにそういった需要はある。しかし本当に採算に合っているかそこが知りたい。プロの農家で、これだけご苦労が絶えないのだから、その収入は生活費をどのくらいカバーしているのか知りたい。
 しかし、いずれにしても生命・環境・心の安寧秩序等大切にせねばならぬことを考えると、教育に並んで農業と暮らしの話題がマスコミに登場する時代となった。一方に外観などの格好が、もう一方にお金もさることながらお金以外の価値観の記事の取り上げ方は自信を取り戻しつつある日本人の一面を覗き見ることができる。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年5月22日

バラ切花のシェアは20%になるだろう

 第8回国際バラとガーデニングショウが所沢のインボイスSEIBUドームで開催されている。3万人以上の人たちが毎日来場しており、昨日は日曜日だったので、夫婦連れも大変多かった。ガーデニングの設定にしても、バラそのもののコンテストや販売にしても、とにかく品位を感じさせる。今求められているのは品位なのだ。歩くのもままならないほどの混み具合だが、展示物も売店もそれぞれも品位を感じさせるのはバラの魅力であろうか。
 花き業界においてバラの重要性がますます高まってきており、特に切花の中では金額ベースで20%のシェアに近づいてゆくと思われる。それは、来場者の年代層を東京ドームの世界ラン展と比べてきても明らかに若いことから裏付けられる。結婚式でもバラが多用されているが、地域一番店を目指す専門店の差別化品目として、バラを取り上げてもらいたいものである。そうすればその専門店はすてきな花屋さんとして、何十年に渡って地域の繁盛店になっていくに違いない。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年5月15日

効率だけが効率ではない

 母の日前の13日(土)、鉢物市で入荷が多いに違いないと、朝3時頃平和の森公園を通って大田市場への道を急いでいた。平和の森公園に隣接する環状7号線の高架下に4人のホームレスがいつも並んで寝ている。その一番公園側にいる人と彼が起きているときいつも挨拶をするから、僕は勝手に彼をテッちゃんと呼んでいる。普段ならこの時間テッちゃんは寝ているが、この日はどういうわけか30歳代、とは言っても35歳過ぎの小太りの女性と話していた。女性はテッちゃんの布団の端に行儀良く手と足をそろえ背筋を伸ばし話し合っていて、その雰囲気からするとその女性は彼に帰ってきてほしい。そしてもう一度彼と暮らしたがっているようであった。その場を離れ5分ほど歩くとニチレイの冷蔵倉庫があり、旧式のホンダアコードワゴンが止まっておりその中に、これも僕が勝手に付けた名前だが、ゲンちゃんが寝ている。なぜ車の中で寝ているのか分からないが、夏も冬も運転席を倒して寝ている。
 昨日の日曜日、テッちゃんのことが気になっていたので、4時頃起きてその場所を見に行った。なにやら暗くてわからないがいないかもしれないと思い、とりあえず会社に来てやり残しの仕事を片付けた。6時30分頃、帰り道で気になってまた環7下の高架下を覗いたら、彼は鍋で朝食を作っているところだった。目でちょっと挨拶をし、そのまま帰宅したが、えも言われぬ情感が今も続いている。きっと彼らには他人には言えない過去があったのだろう。
 自殺件数も同様、あるいはニートの問題もだが、人それぞれに生きていくことがむずかしい社会になっていることは事実だ。高速道路の追い越し車線を軽トラックもスポーツカーも大きなトレーラーも高級なサルーンも一緒になって競って走ろうとしている。またそのように仕向けている。そのことがなんと多くの犠牲をそれぞれに強いていることか。分をわきまえそこねたという人もいよう。しかし、そのように我々が仕向けてはいないか。判官びいきだったり、僕の大好きな義太夫の熊谷陣屋であったり、そういったものを仕事の中でも生かし、職場をゲゼルシャフトと同様、効率だけが効率ではない人間の組織として再構築する必要がある。よく仕事と私生活と分けていこうとするが、人はそんなに器用なものではないし、24時間すべてが自分の生の証でないといけないはずだ。そのとき母の日のように欠かせない命を感謝する具体的な日がある。この情緒的な心情こそ、我々の宝であるはずだ。時代と共に価値観も変わろうが、母の日は理想的な社会性を家族の関係を通じて私たちに教えてくれる。

P.S.
 5月10日(水)朝日新聞夕刊トップの海賊版カーネーションの大見出しではじまった種苗法違反の疑いの可能性がある輸入カーネーションのトピックスは、日本農業新聞土曜朝刊の中川農林大臣のコメント(国産品を買うのが習慣といった内容)で終わり、たくさんの新聞・テレビで報じられた。中国からのカーネーションは100本ずつ指定されたシールを張ることが種苗会社と輸入会社の間で約束されており、輸入会社はそれを現地に言って守らせる必要がある。輸入品が増えている昨今、このように時局のトピックスとして取り上げられたので、私たち花き業界は、小売の人たちは大変だろうけど原産国表示をして、消費者に納得して店頭で選んでもらうことが花も必要だと思われる。ぜひとも小売でも店頭での原産地表示をお願いしたい。

投稿者 磯村信夫 : 18:50

2006年5月 8日

“Learn”

 マイケル・ポーターの「国の競争力」を読んでいて、つくづく教育の大切さを痛感した。もう3年以上も前になるが、インドネシアを訪れたとき公立の小学校で落第があるというのを知って驚いた。義務教育できちんとした学習をしていないと経済発展がおぼつかないためだという。国の競争力の中で貧しい国が中進国になることはいくつかのデータが示している。しかしこの中進国から先進国に浮上していくのがなかなか難しい。経済で言えば、イノベーションのような革新が必要なのだろう。その意味で、ノルウェーやフィンランド、スウェーデン、デンマークなど北欧の競争力は持続し、とても高い。
 パレートの第2法則の2:6:2法則「言われなくてもやる人が2、言われたことしかやらない人が6、言われたこともやらない人が2」に従うと、普通の6の人がイノベーションを起こし、言われなくてもやる2の人に入ろうとする。ここに国の競争力がジャンプする大切なポイントがある。
 私たち花の卸売業は2009年に委託品の販売手数料が自由化になり、今までと同じようにやっていたのではもうすでに単価が下がっていて利益が取れなくなってきているのに、もしこの上、粗利の下げにつながっていくとしたら、何も考えず今までどおりのやり方で一生懸命働いたとしても朗報が待っているわけではない。となると、“think”考えなければならない。考えて、こうありたいという自社のイメージをはっきり持って、そして今できていることでそこにつながる道を歩んでいくしかない。できないことを今さら取り立てても意味はない。できることで、できそうなことで将来自社が向上していく方法を探るほかない。
 先日ドラッカーの本を読んでいたら、ソクラテスがソフィストたちを痛烈に批判している個所があった。ソフィストは若者たちを“teach”教えたのである。それをソクラテスは不遜だと言うのだ。ソクラテスは唯一人に教えていいのは、自ら欲するものの学び方だけだという。自主的な学ぼうとする心を学ばせることが教師や先輩、上司の最も大切なことだというのである。
「啐啄同時(そったくどうじ)」ということがこの世にはある。よって学びの道には必ず師が必要だ。良き師に恵まれたとき、はじめてその人はその人のもてる力を発揮する。
 さて私たちは手数料の弾力化と新しいお役立ちの道を歩みはじめた。誰もどうしたらよいかを教えてくれない、自ら学び考える以外にないのだ。主体的に学ぶとき初めて個性化が出てくる。護送船団方式の卸売業界において、花も青果も魚も肉も卸売会社のその個性にあった付加価値がつくられていくのである。2006年現時点では、考え学び、力をためているときである。

投稿者 磯村信夫 : 17:57

2006年5月 1日

信条としている原理で

 昨日、今期最後のスキーに越後湯沢へ行った。上毛高原も越後湯沢もソメイヨシノがちょうど満開で、今年はお花見を何回もしたことになる。
昨年の4月は、母の日がゴールデンウィーク直後ということもあり4月の下旬から相場が高揚していったので、今年の4月は前年実績を大きく割り込んだ。予定通りといえば予定通り前年を下回ったわけだ。5月は14日が母の日と最も長い前哨戦を送るので、小売大手各社は昨年よりも2割多い取引量を予定している。4月が落ち込んだ分5月に期待したい。

さて、ビジネス誌を多く出版するダイヤモンド社が『世界を変えたビジネス思想家』という本を出版しているが、その本の最初にクリス・アージリスが載っていたので思わず買ってしまった。
 大学時代は経営学部であるにも関わらずほとんど経営学の勉強はしなかったが、唯一このクリス・アージリスだけは学んだ。経営者に向かって従業員に対して、確かこういった本の題名だったと思うが『人間をこう見てほしい』と訴えた経営学の本に惹かれ、アージリスにのめりこんでいった。経営学について他に勉強しなかったから、当然アージリスの考え方がいつの間にか自分の考え方になっていて、「言うは建前、行うは本音」など僕はこれを自分で考えたことだと思っていたが、アージリスの著作を読み返してみると、前者は「信条としての原理」、後者を「実用のための原理」と呼んでいて、僕はアージリスの受け売りをしていたのだと気付いた。
 立派な理想とする原理を体得したとしても、先月の4月期のように10%以上売り上げが落ち込んで利益が出にくくなると組織が生きていくために実用のための原理が働き、生産性をいかに高めるかという議論でなく、経費をいかに削るかという実用のための原理ばかり働いてしまう。会社という組織はこのように過去の経験が役立ちにくい組織で、いかにして信条としている原理(この場合生産性を上げること)に経営資源を集中させて、うまくやるかを考えることが必要だ。結局、組織自体が学んでいこうとする文化をもっていかなければならない。なかなか難しいことであるが、信条とする原理に基づき、会社や業界を運営していくことこそ、健全な社会が出来上がっていく道であろう。花き業界の各組織体も、本音と建前を使い分けるのでなく、どのように信条としている原理で行動できるかを考え、社内文化を改造していく必要がある。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

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