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2009年3月30日

2009年度大田花きの戦略方針

水曜日から新年度が始まる。今日の入荷は花冷えで少なく、先週の月曜日彼岸明けで市況が急落したことを思うと、「売るに天候、作るに天候」で、花や生鮮食料品は卸売市場にせよ相対問屋にせよ、間に最低一つの機関をかませないと、直接ダイレクトにつなぐことには無理がある。大手の小売店では直接生産地と取引しているところもあるが、これは社内に問屋機能を持つ部署を作ったり、子会社の問屋を作ったりして、そこを経由して仕入販売することになる。ヨーロッパやアメリカでも花や生鮮食料品流通はこのようになっていて、カールマルクスが指摘するように、経済合理性上、このインターメディアリーはどうしても欠かせない機能だ。

日本では生鮮食料品花きの大宗を担う卸売市場だが、4月1日から「受託拒否」「差別的取扱禁止」、そして「商物分離」の三つを除き、中央卸売市場の卸売会社は基本的に取引は自由化される。公開取引所を運営するといった社会的な価値よりも、消費者起点の流通を行うといった社会的価値に重きを置く改革がなされてきた。三つの規制があるものの、中央卸売市場の卸売会社は本格的な競争時代に突入し、産地や小売店から選択され、集中した取組が期待される時代となっている。折からの不況も、この動きを後押しし、時代を早める。

 新たな時代に入った卸売市場業界で、弊社大田花きは立ち位置を今までよりさらに川上に置き、産地とともに消費者に喜んでもらえる花を企画立案し、生産流通させ販売してもらう方針を固めた。需要を作れないから売れないのである。需要を作ろう。具体的に需要が喚起できる花を作ってもらおう。消費者や取引先に分かりやすく、便利な新しい補完サービスを提供しよう。こう考え、商品開発室そのものをなくし、知識は花の生活研究所に、知恵は営業本部とロジスティック本部に、データベースは情報システム本部に落とし込み、社員が主体的に需要を作っていくようにした。卸売会社への時代要請はこれだと私は思い、この戦略に則って組織を変え、具体的な目標を設定し、取り組んでゆく。ぜひとも読者の皆さんも時代の要請に耳を傾けてほしい。業績悪化だけに目を奪われては我々卸売市場の社会的役割を果たすことができない。我々の仕事は真にやりがいのある仕事なのだから。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2009年3月23日

地方市場は範囲の経済

昨日、湯沢でスキーをしていたが、下のほうなどもうすっかり5月の連休のような雪の少なさだった。

今日23日の荷はこれも母の日近辺の量で、先週と同じだけあった。これだけ暖かいと思わず咲いてしまったのだろう。菊類は需要に合わせて出荷が減ったが、他の洋花はコントロールが利かず、今日ドッと出てしまった。しかし明日からの冷え込みで出荷量はおさえられ、来週からは3月も終わり4月、初夏の花が中心となっていく。

今日は需給バランスが崩れた格好での立ち合いとなるが、2009年度の花の需給バランスの基調は、需要が少なくなったり、あるいは低価格で販売しようとする動きより先に生産量が減っていったりする状況にあることは変わらないので、単価は横ばいから社会のムードに押されて安くなったとしても1割安というところに落ち着いていくだろう。

先週お話しをした個人需要主導型、特に地方の個人需要が主導して相場展開されたのが3月の彼岸相場であったが、仏花以外にも季節の小花や球根花など地方の消費者が業界を引っ張って行っている。しかし出荷物は生産量と運賃の関係から、ロットをまとめても値崩れを起こしにくい政令都市の大手市場に荷物が集まっている。したがって地方の市場は規模の経済でなく範囲の経済を行なう。この場合の範囲の経済とは、自分のところで使っていない資産や能力を使って市場業務以外の商売を行なうことだ。具体的には卸売市場の仕事をし、手の空いたときあるいはやりくりをして、仕入れて販売するという問屋行為を行ったり、せり以外にも御用聞きを行って受注販売をしたり、せりが終わった午後や通称「裏日」と言われる翌日に暇を持て余さぬよう花束や鉢物の加工をしたりする。このついでビジネスを範囲の経済と言っているが、地方の市場は範囲の経済をやりだしたわけだ。こうして地方の花き流通は形を変えながら進化していっている。地方ほど卸売市場がいろいろな仕事をし始めている。まだやり始めたばかりなので、仲卸や加工業者などと競合していくと思われるが、今後どのようなコストパフォーマンスを行なえるかによって多角化の成功がかかっている。これから競争は激しくなろうが地方の卸健在ということである。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2009年3月16日

次の局面に入った花き消費

2007年7月、食料品の値上がりやガソリンもリッターあたり140円になって、生活が苦しくなってきた。ボーナスも上がらず主婦は消費を手控え始めた。そこから百貨店協会が発表する婦人服消費がマイナスに転じたのだ。当時、ワンピースが流行り始め、単価が落ちたから私は前年比割れしたと思ったが、そこから明らかに主婦は生活防衛を始めたのだった。今まで花の消費が堅調に伸びているときというのは業務需要が堅調なときだ。百貨店協会の指標で、男性衣料が売れているときは花も絶好調だ。

現在の花の消費構造は、法人需要が低調だから法人需要の多い三大都市圏は最も打撃を受けている。失われた10年の後、日本のグローバリゼーション対応とは会計やコンプライアンスをアメリカ基準にすることだけでなく、輸出企業がアメリカの個人消費を目当てにモノを作り、日本から直接の場合もあろうが、アジア経由でアメリカに買ってもらい、そこから得たお金を三大都市圏中心に分配していた。三大都市圏、とりわけ東京は2002年からの好景気の恩恵を受けてきた。自動車、弱電、金融業、不動産業が活発な地域は少なくとも2007年7月まで、長くて2008年の第1四半期まで景気が良かったわけだ。その間、日本は内需拡大政策を取ってこなかったから、地方は好景気の影響すら受けず、少子高齢化でちっとも景気が良くないと言っていた。だから日本花き市場協会の150社の花の売上は横ばいから微減だったわけである。

当時は日本を三つの地域に分けていた。輸出企業で上場会社の本社がある地域(政令都市)、道州制の中心地で支店経済の地域(札幌、仙台、福岡に代表される地域)、農業と大手企業の工場で成り立っている地域の3つである。

昨年末(2008年11月、12月)は、派遣切りなどで工場経済の地域に不安が広がり、花の売れ行きが鈍った。本年に入り、1月15日過ぎ、グローバリゼーション企業による相次ぐリストラ政策が発表され、支店経済、本社が多い政令都市のいずれもが世界恐慌に類する100年に一度の不況を認識し、花の単価は史上最低の記録を更新した。生産者から小売店までため息をつく日々が続いた。しかし3月に入り、今相場を引っ張っているのはついこの間好景気の恩恵を受けなかった地方である。私の実感として、地方にうかがうと東京ほどの落ち込みはない。そのことを地元の方にお話しすると「最初から景気が良くなかったから、もちろん悪くなっていますがあまり変わりません」というのが実感だそうだ。ここが3月の花の消費を引っ張っている。もちろん花は三気商売で天気・景気・やる気である。暖冬で今年は東北・北海道地域は道路に雪がなく、3月にお墓参りをするなど花の需要が喚起されているが、しかしもっと大切なのは心理的な影響だ。日本は世界第2位の経済大国として内需拡大を目指さなければならない。もったいない精神でムダはいけないが、環境問題を考えた消費をすることや人間として生まれたからにはオシャレを楽しんだり、花のある生活をしたり、豊かな居住空間を手に入れるなど、たくさんのなすべきことがある。2005年、アメリカの家計はカードやローンを使って15%借金をしてまで消費をしつづけた。これでは破産してしまうから、当然リバランスしなければならない。日本は所得が上がらないから貯蓄の取り崩しもあるだろうが、マンションは年収の5倍と言っている。これはおかしい。EUやアメリカと同様年収の3倍で人心地ついた住宅が供給できなければならない。いくつか抜本的な政策を施し、内需による経済発展ができなければならない。そちらを向いた政策変更の時期となっている今、地方の暮らし向きが元気なうちに、21世紀の日本はこうあるべきという抜本的な経済政策を練り上げ、さらに内需を活発化させる施策を取るべきであると日本は政府に期待したい。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2009年3月 9日

アジアの花事情

先週、2010年ASEAN統合で花の生産流通の拠点となる中国雲南省の昆明とタイのチェンマイ、バンコクへ今後の東アジアの花き業界を展望する意味で休暇を使って訪問してきた。

1、昆明
雲南省の昆明には相対市場の斗南市場とせり市場の昆明国際花市場の二つがあり、実績はいずれも前年を大きく上回っている。60年ぶりの暖かい冬だった昆明は、切花本数が多く、カーネーション中心の斗南市場は全体で2割増の売上。バラ中心の昆明国際花市場は北京オリンピックの効果もあり5割増となっている。3月の初旬も昆明の花市場の300席は開場前に満員御礼で、物日ではないのに日本の市場の物日のように活気があった。見学者も多く産地ブローカーは自分の荷がいくらで売れるか見に来ており、これが夜9時から始まる市場かと思うほどの熱気であった。オランダの大手生産者のフィンレー(カーネーション)もファンデルベルクローズ(バラ)もようやく軌道に乗り始めている。中国国内はもとより、ASEANからオーストラリア、日本やロシアまで見据えて生産・販売を行おうとしている。ただ昆明の問題点は近頃の異常気象だ。今年は違うが昨年は雪が降ったし、7・8月の天気の悪さは、赤道に近い高地として産地化されようとしている昆明の泣き所になろうとしている。新たな適地を求めて生産地が開発される可能性が高い。ただ昆明にはすでに花き産業を構成する必要な要件を満たすサービスをする業者があり、花き産業のメッカとしての昆明は変わりそうにない。弊社とアルスメール市場は昆明国際花市場の立ち上げに協力してきたが、今度の活況を見て大変うれしく思った。

2、タイ
タイは花の需要が大変しっかりした国だ。タイフードが好きな人は「インド料理と中華料理の良いところを取って独自の味付けにしたから一番美味しいのです」と言う。まんざら嘘でもなさそうだが、インドからの文化的な影響は大変濃いように思う。花の需要は黄色の花を使う神様の花の需要、香りの花とハスを使う仏教の需要、王族への花はバラやランなどを使う。この3つを月最低2回、よく使う人は週1回ずつ花を買って供えている。だからその需要は半端じゃない。それに鉢物や植木が大好きだから、日本の路地裏園芸に負けないくらい植物の鉢が置かれている。昔日本に来た外国人が白山通りの植木屋街を見て日本人の文化性に驚いたように、タイに行くと本当に人間の生活に欠かせないものとして花があることを痛感させられる。花は嗜好品ではなく、精神生活、人の文化生活に欠かせないものなのだ。

チェンマイの花博の跡地はそのままきれいに手が施され、開放されている。このことだけでもメンテナンスコストを考えれば大変なことだが、タイは当然のように公園として残している。オランダのズータメーアも、ハーレムミーアも、また大阪万博花博も中国昆明の花博もいずれも一部を売却したり、不動産宅地にしたりして収益を上げている。そのことは合理的だとも言えるが、しかしチェンマイはそうしないのである。チェンマイの切花市場と鉢物市場を見ると、実績は前年よりも若干良い程度と言うのがこの地域だそうだ。メコン川を使って中国からチェンライへ、チェンライからトラックでチェンマイへ運ばれたバラやカーネーション、鉢物は大変多い。ユリも中国産はなかなか品質が良い。チェンマイの花産業は中国とのFTAの前倒し政策で、かなりのダメージを受けたが、ようやくここのところで落ち着いているようだ。

バンコクはASEANの中で最も新しい植物が集まり取引されるところとして有名だが、今回も仕立を変えたアイディア商品まで含め、いくつかの新商品を見ることが出来た。ASEANの花き業界の中心として力が入っているのはフィロデンドロンとアンス、ヘリコニア、クルクマの類で、今後切花、切葉、鉢物とも多数の新品種が出回ることになる。タイの生産者はASEAN諸国はもちろん、インド、スリランカ、ネパールまで含め、取引のネットワークがある。ただ問題はタイ洋ラン輸出協会のような地元業者の横のつながりがないこと。農協はあるが生産部会活動がされていないこと、すなわち農協活動が未発達であること。東南アジアの国々では街を作るときに中心部に市場を作るところから始めるが、タイは古い市場が中心になっている。そのため新しいタラッドタイはロジスティックを考えて作っていても力不足で、業界全体あるいは国としての花きの位置付けや戦略などを描ける段階ではまだないことが問題である。

日本の強みを中国の昆明に住むアメリカ人とタイのチェンマイに住む日本人と話し合った。あらゆる種類の花があること、そのレベルは高いこと、農家が品種改良するなど世界で最も育種家が多いこと。この3つが日本の圧倒的な強さで競争力だそうだ。海外から当然花は日本に入ってくる。その中で棲み分けていく。どのように日本の消費者に買ってもらうか、あるいはアジアの消費者に買ってもらうか、この強さを武器にどうプロモーションしていくか、どうコストを抑えて生産・出荷・輸出していくかがポイントになる。切花輸出と種苗輸出は日本の成功パターンのはずだ。今後、アジアの花の消費拡大に向け協業していこうと意見の一致を見た。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2009年3月 2日

新しい農業者

2007年中の農業就農者はおよそ7万3000人であった。そのうち88%、約9割の人たちは後継者が就農した。2008年度はさらに数が増えるだろう。10-12月のGDP速報値を受け与謝野大臣は「戦後最大の経済危機」と現在の危機を語り、「今までやって来たやり方では通用しない。今は有事なのだ。有事に相応しい対策を国家、地方自治体、企業、家計はとらなければならない」と声を大にして言い切った。

2008年12月から農政局や農政事務局で、農業就労者の募集窓口を開いた。1月の時点で就農した人は138人であった。今後もっと増えていくだろうし、増やしたいと思う。

先々週だが妻と一緒に箱根の仙石原にあるオーベルジュに行った。オーベルジュは割烹旅館を洋風化したもの。バブル経済崩壊後、各企業は保養所を持つことをやめて売った。そこを買って改装し、シェフ等が料理目的で宿泊もできる小旅館を経営するというのがオーベルジュである。そこは10組しか泊まれないがいっぱいであった。こういうオーベルジュが伊豆まで含めかつての保養所エリアにかなりできている。素晴らしい料理の腕前で、1泊2日の小旅行では大満足というのがオーベルジュだ。企業が保養所を離す。それをシェフ等が買って企業家となる。料理だけでなく、宿泊のサービスを含めて、お客さんと人間的なふれあいをする。これと同じことが農業の分野でできるのではないかと思う。農業の素晴らしさを見直す。ここ1?2年は経済的に苦しいかもしれないが、この苦しい中から始める優秀な農業者が多数出てくることをオーベルジュに泊まってみて私は夢見ている。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

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